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村上春樹が新訳した戦争絵本 翻訳オファーの理由を編集者に聞く

2023年8月4日 6:10
村上春樹が新訳した戦争絵本 翻訳オファーの理由を編集者に聞く
『世界で最後の花 絵のついた寓話』ジェームズ・サーバー 作・絵 / 村上春樹 訳 ポプラ社
7月、ロシアによるウクライナの軍事侵攻が始まってから500日が経過しました。戦争が終わらない状況の中、“戦争を繰り返してはいけない”というメッセージをもつ絵本『世界で最後の花』(ポプラ社)が日本で出版されました。この本は日本で絶版になっていましたが、6月に作家・村上春樹さんの新訳で復刊。編集者に復刊に込めた思いや、村上春樹さんに翻訳をオファーした理由を聞きました。

『世界で最後の花』は1939年の第二次世界大戦開戦時、雑誌の編集者や小説家、漫画家などで活躍したジェームズ・サーバーさんによって描かれた絵本です。

「みなさんもごぞんじのように、第十二次世界大戦があり」(『世界で最後の花』より)

物語の舞台は、第十二次世界大戦が起きた世界。文明は破壊され、町も都市も森も林も消え去ります。残された人間たちは、ただそのへんに座りこむだけの存在になってしまいました。そんな世界で…。

「ある日、それまで花をいちども見たことのなかった若い娘が、たまたま世界に残った最後の花を目にしました」(『世界で最後の花』より)

その花をひとりの若い男と一緒に育てはじめます。すると世界に愛が再び生まれ、町や都市や村、歌などの娯楽も戻ってきます。しかし、兵隊たちも戻ってきて…。

「まもなく世界中が再び戦争になりました」(『世界で最後の花』より)

「なぜ人間は戦争を繰り返すのか?」をテーマにしたこの絵本。1983年に『そして、一輪の花のほかは…』というタイトルで日本で出版されましたが、その後、絶版に。今回、話を聞いた編集担当の辻敦さんは、自身の戦争への考え方の変化に気づき、出版に向けて動いたといいます。

■きっかけはウクライナ侵攻 時間がたって気づいた「あんなに絶望したのに…」

――どんな思いから、この絵本の復刊に向けて動いたのでしょうか?

ウクライナ侵攻が起きてから3か月経ったタイミングでこの本の復刊の話をいただきました。この本を初めて読んだとき、戦争の悲惨さがものすごく伝わってきました。ウクライナ侵攻が起きたことをニュースで知ったとき、家のソファの上から動けなくなってしまったんです。戦争が起きてしまったことにはっきりとショックを受けました。それから新聞とかネットニュースとかも逐一チェックするようになりました。

それでも時間がたつと、あんなに絶望したのに(戦争の)報道に慣れてしまうんです。“悲しい”とか“虚しい”とかも、あんまり感じなくなっていたんですよね。その事実にこの本を読んで気づきました。どんどん無関心になってしまっている自分が恐ろしいなと痛感しました。(この僕の様子が)本に描かれている人たちと一緒だと思ったんですね。世の中には僕みたいに戦争の報道に慣れてしまっている人が結構多くいると思ったので、そういう意味でも今復刊させることはすごく意味があるんじゃないかなと思いました。

■編集者が熱望した「村上春樹 訳」 きっかけは“名作絵本”

「また絶版になったら意味がない」。“より多くの人に届けるにはどうすればいいか”と考え、翻訳を作家・村上春樹さんにお願いしてみようと思ったといいます。

――訳者として村上春樹さんが候補になったきっかけは?

村上さんのいろんな小説の中に、戦争に関する描写があります。だから戦争について絶対に関心をお持ちだろうと思っていました。それと、僕が大学の翻訳の授業で村上さんがたくさんの小説や絵本を翻訳なさっていることを聞いていたこともあり、“翻訳者としての村上春樹さん”のイメージが元々強くありました。

――村上春樹さんの翻訳で、印象に残っているものはありますか?

『おおきな木』という絵本が昔から好きでよく読んでいました。(物語は)りんごの木に毎日遊びに来る男の子がいて、その子とすごく仲良しなんです。その男の子が成長して、例えば“お金がほしい”と言ったら、(売るために木が)りんごをあげる。とにかく男の子の欲することを(木が)全て与える。毎回与えるたびに「きは それで うれしかった」と書かれています。

(絵本の終盤、年をとった男の子が現れ)枝もなくなって幹だけになった木が、今はもう渡せるものは幹しかないから“わたしの みきを きりたおし ふねを おつくり”と言って、とうとう切り株だけになっちゃう。(それに対して)昔の訳は「きは それで うれしかった だけど それは ほんとかな」と書いてある。幼いころの僕は“うれしいわけないじゃん!”と、なんだか釈然としないような気持ちを抱いていたんです。

その後、大人になってから村上春樹さんの新訳の『おおきな木』を読んで、「それで木はしあわせに…なんてなれませんよね」となっている。「それ、僕が思っていたこと!」って、すごくスッキリしたんです。翻訳って面白いと思いました。

■村上春樹へ手紙で伝えた復刊への思い

――村上春樹さんへ「訳してほしい」という思いを、どう伝えたのでしょうか?

手紙を(英語版の)原書と一緒に送りました。そもそも読んでくれるかどうかさえわからないし、届くかどうかさえも定かじゃなかったです。でも気持ちをしっかり込めなきゃ意味はないので、全身全霊で書きました。

――どんな思いを手紙に込めたのでしょうか?

大まかですけど、今お答えしたようなことを書きました。ウクライナ侵攻が起きて、僕はショックを受けたのに戦争が起きていることに慣れてしまっていることに気づいて、それが恐ろしいと思ったこと。『おおきな木』のことも書きました。村上さんの翻訳が僕は好きだし、「翻訳ってすごい!」と決定的に印象に残った出来事だったので、そういうことを踏まえてお伝えしました。

――引き受けてくれるとわかったときは?

めちゃくちゃうれしかったです! 「引き受けてくださった」ことを上司に伝えたり、部内で共有したりするんですが、みんなとても驚いていましたね。そこで改めて、すごく幸運なことだったんだなって思いました。

■戦争体験者から届いた感想に「感動」

――『世界で最後の花』を読んだ方から、どんな声が届いていますか?

戦争を経験した人から読者はがきが結構来ているんです。「1938年生まれの私にはとてもよくわかり、その(絵本の)通りでした。戦争ほどバカなものはない。同年代の友達にも見せてあげます」(85歳・女性)など、80歳以上の方から多くの読者はがきが届いています。戦争を実際に体験した人から共感の声をいただいて感動しました。

――『世界で最後の花』は絵本だからこそ、幅広い世代にメッセージを伝えられるのではないでしょうか。

子供と一緒にコミュニケーションを取りながら読むことが多いと思います。戦争という日常の話題にちょっとのぼりづらいようなことも、『世界で最後の花』を通して親子で話す機会になるのはすごくいいなと思います。例えば“おばあちゃん→娘→孫”の三世代で同じ絵本の話ができるのは、絵本の力だなと思います。なので、ジェームズ・サーバ―が絵本の形で『世界で最後の花』を残したことは、意義があることなんじゃないかなと思います。戦争について少しでも考えるきっかけになってほしいというのが、僕の一番の願いです。