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“何で女性が胸を出さなきゃいけないんだ” 俳優としての憤りから性暴力問題の映画製作 監督を取材

2024年3月7日 23:05
“何で女性が胸を出さなきゃいけないんだ” 俳優としての憤りから性暴力問題の映画製作 監督を取材
俳優としても活動する松林麗監督に聞く映画業界の性加害問題
昨今、芸能界や映画業界における性加害問題が取りざたされている中で、映画業界の性暴力をテーマに描いた映画『ブルーイマジン』が3月16日に公開されます。監督を務めるのは、俳優としても活動する松林麗さん(30)。自身が性被害の当事者であることを明かしています。

物語の主人公は、ある映画監督から性暴力を受け、トラウマを抱えた俳優志望の若い女性。さまざまな形の性暴力や、ハラスメントに悩む人たちが集まるシェアハウスを舞台に、被害当事者たちが寄り添いながら連帯し、自分と世界を変えるために声をあげようと葛藤する姿が描かれています。

■俳優としての憤り “何で女性が胸を出さなきゃいけないんだ”

今回、初めて長編映画のメガホンをとった松林監督。なぜ、性暴力を題材に映画を製作したのか。その理由の一つに、俳優としても活動する松林監督だからこそ感じてきた、映画業界の“生きづらさ”がありました。

「何でこんなに男性本位のキャラクターが作られてしまうのかという点に憤りがありました。俳優として生きていく中で、憤りや葛藤、現状維持が良くないと思ったこともあって。一つ例を出すなら、“何で女性が胸を出さないといけないんだ”と。脱ぐことが一つのステータスみたいなところはやっぱりまだまだあって。今までの“男性目線”で作られてきたものを変えたいという思いがありました」

■被害者たちの現実を繊細に 性被害の“事後”を描く

劇中では、性行為による被害シーンをあえて描かなかったという松林監督。こだわって描いたのは性被害の“事後”。そこには自身の経験も生かされているといいます。

「どれだけ被害を受けた人たちが苦しんでいるかを中心に描くことが大事だという思いがありました。(男性から性暴力を受けたことで)男性という存在が受け入れがたい気持ちになってしまうのは、私にも経験があるし、突発的にこわばってしまうところがある。ぐっと手を握りしめてしまうところとか、無意識に起きてしまう体の異変は繊細に描きたいと思いました」 

例えば、過去に性暴力を受けた主人公が、シェアハウスの屋上で見知らぬ男性と意図せず対面するシーン。男性が主人公に近づいてきたことで体が硬直し、思わず逃げ出してしまいます。そして自室に戻り、鼓動が響く音や、こわばって震える手を必死にほぐそうとする様子が描かれています。

“事後”の苦しみは他にも――

主人公たちが性暴力を告発するため新聞社に行くシーンでは、自身の体験を必死に新聞記者に話しますが、記者から“役をもらいたくて監督と親しくしていたんじゃないか”、“被害者だというのは、役がもらえなかったからでは?” と言われてしまい、さらなる傷を負ってしまいます。

■性被害問題に限らず起こる“二次被害”

第三者からの言動で被害者がさらに傷つけられてしまう、いわゆる“二次被害”の問題は、性暴力に限りません。特にSNSでは、 “間違った正義”をふりかざした非難や、誹謗中傷が飛び交い、無法地帯のようになってしまっていると、松林監督は言います。

「揚げ足を取る人が多いじゃないですか。人の悪いところを見つけてやろうとか。揚げ足を取っても何も解決しない。答えを早く出さなきゃいけないことを強いられますけど、急ぎすぎてはいけない。最近は答えに白黒つけたがってグレーゾーンがないというのも私は違うと思います」

■「無意識のうちに…」 誰もが加害者になり得る怖さ

白か黒かを決めたがる風潮を感じながらも、「全てが健全って難しい」と語る松林監督。自身の経験も振り返りながら、「無意識のうちに加害してしまっていることに気づかないことが一番怖い」と、警鐘を鳴らします。

「男女問わず、自分がいつ加害者になるかも、被害者になるかも分からない。私も映画を撮っている中で、上下関係っていうのはもちろん生まれてしまって。監督としてジャッジしなきゃいけない時間や予算の制約の中で、“これがない”“あれがない”ってなってくると、やっぱりどうしても助監督の方とかに“何でないの!”となってしまう。でもクリーンな人なんて1人もいないわけで、社会って上とか下とか右とか左とか関係なく、その一人一人の個性と付き合っていかなきゃいけない」

■社会が変わるために必要なのは、“当事者性”

誰もが加害者、被害者になり得る――

今の社会が変わるために、何が必要だと感じているのかを聞きました。

「“被害者と加害者”ではなくて“当事者性を持つ”ことが、世の中を変えていく。例えば、私たちが経験したコロナ禍や地震もあるし、誰しも何かの当事者っていう感覚は持っていると思います。自分自身の深い痛みを知る、向き合うことが当事者性を持つことにつながるんじゃないかなと思います」

最後に、社会問題を映画というエンターテインメントで描いたことについて、松林監督は――

「(性暴力という題材は)今、本当にタイムリーすぎるテーマになってしまいましたけど、映し鏡としては意義があったんじゃないかと思います。救いや希望を持ってほしい、心の傷に深く向き合って自分で自分を救ってあげてほしいというメッセージが届けばいいなと思います」