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被害女性が実名公表で闘った痴漢裁判「生身の人間の『私』が受けた傷を知ってほしい」

2022年9月3日 13:00
被害女性が実名公表で闘った痴漢裁判「生身の人間の『私』が受けた傷を知ってほしい」
被害に遭った青木千恵子さん(45)。実名・顔出しで記者会見に臨んだ。

痴漢事件自体は決して珍しくない。しかし、この裁判では異例の出来事があった。それは被害女性が顔を隠さず出廷し、被告の前で意見陳述したことだ。「匿名の“Aさん”の被害ではなく、生身の“私”が受けた傷を知ってほしい」。女性が伝えたかったこととは…。

「このたびは本当に…申し訳ありませんでした」

法廷で、黒いスーツを着た少し気弱そうにも見える男は声を震わせながらこう言った。被告の会社員の男(43)が問われている罪は「強制わいせつ致傷」。2020年、JR埼京線の車内で女性(当時44)の尻を触り、降りた駅のホーム上で女性を転倒させ、全治3週間のケガをさせたとされる。

「私が犯した罪はとても卑劣で、決して許されるものではないと思っています」

男の左手の薬指には指輪。法廷にはずっと妻の姿があった。

「夫が痴漢したのは、考えの浅さ、認識の甘さ、そして自分の欲に負けてしまったからだと思います。それに気づけなかった私の責任もあります」

証言台に立った妻は夫について、家では家族を大切にする優しい人だと語った。中学生と小学生の息子たちはそんな父が大好きで、子供のために離婚は思いとどまったという。今後は家族全員が強い気持ちを持って夫を監督していくと、妻は涙ながらに誓った。

――決して珍しくはない「痴漢」の裁判。

しかし、この裁判では異例の出来事があった。それは、裁判の始まりから終わりまで、被害者の女性が自分の顔を隠すことなく検察官のそばに座り、裁判に参加していたことだ。

■生身の人間である「私」が受けた傷を知ってほしい

「幸せで安定した生活は、事件のせいで一変してしまいました」

男の目の前で、自分が事件以降、どんな日々を送ってきたかについて、時に声を震わせながら語ったのは青木千恵子さん(45)。

被告の顔を見たら被害がフラッシュバックする――。第三者から好奇の目を向けられるのが怖い――。様々な理由から、性犯罪事件の被害者は被告や傍聴席から見えないように、別室や、ついたてに守られて証言や意見陳述することが多い。そもそも出廷しないことを選ぶ被害者もいる。

しかし、青木さんはあえて法廷に立ち、男の前で意見陳述することを選んだ。

「私の被害を匿名の“Aさん”の被害としてほしくなかった。“私”という生身の人間が受けた傷を、しっかり伝えたかった」

青木さんが法廷で自ら「闘う」と決めたのは、自身がこれまで弁護士として被害者を支援をしてきた経験があったからだった。

■「代理人」として立つ法廷と「被害者」として立つ法廷は違う

「今まで被害者の代理人として法廷に座っていたときは、なんだかんだ頭でっかちだったと思うんです」

弁護士として、今まで性犯罪を含めいろいろな事件の被害者と出会い、サポートしてきた青木さん。信じられないような凄惨(せいさん)な事件とも向き合う中で、「人間の怖さ」を人並み以上に理解してきたつもりだった。

しかし、実際に自分が被害者になった世界は想像を超えていた。

昨日と同じ明日が来ない――。

被害に遭った日はいつもの仕事の移動中で、「バリバリ働いて疲れて寝る」、そんな変哲もない1日になると当然のごとく思っていた。

しかし見ず知らずの人間からの突然の犯行をきっかけに、「また何か周りに犯罪を犯す人がいるかも」との思い込みに支配され、日常でも人を信じられなくなった。外にいても突然、涙があふれ、眠れない日々が続いた。やりがいのあった仕事の一部をあきらめざるを得なくなった。自身が被害者になって、被害者が語る言葉の裏には語り尽くせないほどの辛さがあることを身をもって知った。

「被害者がそんな辛い思いをするのなら、痴漢を見かけたら自分も止めたい」

――そう思ってくれる人が増えたらいい。

そのためには、多くの人がより被害を想像しやすいように、顔も実名も公表して被害を訴えることが必要だと考えた。

■「痴漢を止める勇気を後押しするきっかけに」

「『痴漢被害者』って聞いたらまず頭の中に出てくるのって10代とか20代の若い女の子じゃないですか。でも私は45歳で、40代の被害者もいる。中には男性の被害者だっているんです」

誰しもいつ被害者になるかわからない。痴漢の被害を訴えることで、自分自身が、またはその家族や恋人が突然、当事者になるかもしれないと想像してもらえたらと考えた。

「困っている人を助けたいと思う心は、きっとみんなが持っている。ただ、電車で席を譲るにも少し勇気がいるし、犯罪行為を止めるのには、もっと勇気がいる。でも自分にできることはあるんです」

目の前で痴漢を見ても、加害者からの反撃を恐れたり、捕まえた後に時間をとられるのを嫌がったりと一歩踏み出せない人は多くいる。しかし、痴漢行為を直接止められなくても、たとえば被害者に「大丈夫? 具合悪い?」などと声をかけるだけでもいい。

被害者が注目されれば、痴漢は触るのをやめるからだ。痴漢によって被害者がこの先どんな思いをするのか、人生が一変した自分の経験談を通して痴漢を止める勇気を出す人が増えてくれたら嬉しい。被害者を支援してきた弁護士である自分が、それを実践できたら意味があると青木さんは考えた。

「懲役2年6か月に処する。裁判が確定した日から4年間、その刑の執行を猶予する」

東京地裁で男に判決が言い渡されたとき、青木さんは判決の内容よりも、男の心から反省している様子が心に残ったという。青木さんが男の前で心情の意見陳述をしてから、男の態度が明らかに変わったのは感じていた。

「頭で反省するのでは、また本当に欲が大きく出てきたときにうまく自分を止められなくなってしまう。だから理性を大きくするのではなくて、被害者の苦しさをきちんと感じて心から反省することが、今後、欲望を止めるストッパーになると思う」

男の涙ながらの謝罪は、本物だと感じたという。裁判が終わっても被害者が喜べることはないと青木さんは断言する。たとえ被害者が望む刑罰が科されたとしても、被害が消えるわけでも人生が元に戻るわけでもないからだ。

しかし加害者に「相手にどんな傷を負わせたか」をきちんと理解してもらうことが、被害者にとって心を回復していく1つの薬になるという。そして加害者にとっても、裁判で罪と真摯に向き合うことが今後の更生のための助けとなる。

青木さんが顔を隠さず、被告と正面から向き合って闘った裁判は、被害を受けた青木さんにとっても、男やその家族にとっても、意味があるものだったに違いない。そして青木さんの闘いは、痴漢被害の場に出くわすかもしれない多くの人にも、何ができるかを問いかけている。

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