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五輪代表・小松原カップル 運命的な出会い

2022年1月15日 0:33
五輪代表・小松原カップル 運命的な出会い

去年12月に全日本選手権4連覇を達成した小松原美里・尊カップル。運命的な出会いをした2人は、ある大きな問題を乗り越え、念願の五輪代表を勝ち取りました。

3人きょうだいの末っ子で、岡山県で育った美里選手。運動神経はバツグンで、兄2人の影響で幼い頃は野球少女でした。

フィギュアスケートを始めたのは9歳の時。「新聞に大ちゃん(高橋大輔)が載っていた。一番今までやったスポーツで難しくてできないから楽しくてしょうがなかったです」と、同じ岡山出身でバンクーバー五輪では日本男子初のメダルとなる銅メダルを獲得した高橋大輔選手に憧れたのがきっかけでした。

一方、尊選手はアメリカ出身で4人きょうだいの末っ子。母国での名前はティム・コレトで7歳の時にスケートを始めていました。

美里選手は15歳の時に、シングルからアイスダンスに転向。最初は日本の選手と組んでいましたが、2度カップルを解消しました。そして21歳の時にはイタリア人の選手とカップルを組み、イタリアで活動していましたが、またしてもカップルを解消していました。

「毎回この人と最後まで滑りたいって考えてスタートさせるので、毎回めちゃくちゃへこむんですよね」と落ち込んだ美里選手。

そんな美里選手に紹介されたのがティム選手でした。しかし美里選手がイタリアにやってきたティム選手を空港に迎えに行くと、アクシデントが。それはティム選手の預けた荷物が出てこないロストバゲージ。

当時のことを美里選手は「空港から何も持たずにショボンって出てきて。3日目くらいに(荷物は)届いたんですけど、その2日間でたくさんの話ができたので、自分たちの性格は合うけど、スケートはどうなんだろう」と、スケートの相性について不安があったと言います。

それでも届いたスケート靴で一緒に滑ると、「『合う』ってフィーリングは特別なモノって分かりました。カラダも合わないといけないし、性格も一緒に仕事ができないといけない、それが合うってすごく珍しくて。奇跡だなって思います」と言う美里選手。

またティム選手も「同じ事を思っていました。美里の前は5人くらいとトライアウトしましたけど、完璧なパートナーは見つかりませんでしたので、美里がいなかったらやめました。運命のスタートだった」と当時のことを振り返ります。

運命的な出会いですぐにカップルを組んだ美里選手とティム選手。出会ってから、わずか7か月後の2017年1月に結婚すると、翌年には全日本選手権を初制覇しました。

しかし、このカップルにはある大きな問題が。それはオリンピック。カップルとして出場するには国籍が同じでなければ出場できません。

そこでアメリカ出身のティム選手は、大きな決断をします。「アメリカの国籍が無くなっても大丈夫と。だから美里に(五輪出場の)チャンスをあげたかった」と、2020年11月に日本国籍を取得しました。

ティム選手の国籍変更に美里選手は「(以前)イタリア人のパートナーに聞かれたことがあるんです。『国籍を変更する気があるか』と。私は日本が大好きだし、そこまで人生をかける勇気が無くて諦めた。私ができなかったことをこの人はやろうとしているというのが、本当に大切に思っているんだなって」と、当時のティム選手の勇気と覚悟について語りました。

さらに名前も“ティム・コレト”から日本名の“小松原尊”に変更。実はこの名付け親は美里選手のお母さんでした。「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の“尊”はどうかなっていうところから。尊厳とか、尊敬するとか、いろんな意味で良い字じゃないかなって」と、“尊”にした理由を教えてくれました。また尊選手は「尊敬の“尊”は大事な漢字だと思いました。聞いて感動したのでそれに決めました」と話しました。

そして北京五輪の代表選考会となった去年12月の全日本選手権。3連覇中の2人のライバルとなったのは、子供の頃からあこがれていた高橋大輔選手と村元哉中選手のカップルでした。

高橋・村元カップルは11月のNHK杯で日本歴代最高得点をたたき出し、小松原カップルの脅威となっていました。

五輪に出場できるのは1組だけ。2人は五輪出場の夢を叶(かな)えるため、フリーダンスでは「日本の心」を表現した「SAYURI」で勝負。歌舞伎役者の片岡孝太郎さんに指導を受け、手の細かい動きなどで、日本の自然や美しさを表現すると、見事4連覇を達成。北京五輪代表に内定しました。

念願の五輪代表となった美里選手は「ティム(尊)じゃなかったら続けてこれてなかったと思います。頑張っていれば希望を持っていいし、希望を持っていれば願いは叶(かな)う。演技を見終わったときにそれを感じてもらえればうれしい」

そして尊選手は「五輪の会場で世界中の皆様の前で日本っぽいプログラムをできることをとても光栄に思います。一緒にベストの演技をできるように頑張ります」と、2月から始まる北京五輪へ意気込みを語りました。

■写真:アフロスポーツ