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“最年少”の語り部がデビュー 戦争を知らない世代から知らない世代へ 中学生に伝えたこと 福岡

2024年6月22日 11:26
“最年少”の語り部がデビュー 戦争を知らない世代から知らない世代へ 中学生に伝えたこと 福岡
“最年少”の語り部

福岡市の中学校で20日、36歳の女性が「戦争の語り部」としてデビューしました。女性が抱いていたのは、戦争を知らない世代が語り継ぐことへの葛藤です。それでも活動する女性には、ある思いがありました。

福岡市中央区の警固中学校で、2時間目の時間が始まると、ひとりの女性が中学生たちの前で話し始めました。和田由佳理さん(36)です。

■福岡市原爆被害者の会・和田由佳理さん(36)
「原爆がいかに多くの尊い命を奪う恐ろしいものかということ、そして戦争の愚かさについてみなさんにお伝えすることができたらなと思っています。」

語り部としてデビューの舞台。テーマは戦争です。

■和田さん
「戦争に反対するようなことは言えなかった。みんな、なんでかな、なんでこんなことをするのかな、おかしいなって心の中では思っていたとしても、それを人に言えない空気になっていくのが戦争です。」

36歳という若さから和田さんは「最年少の語り部」と呼ばれています。

■和田さん
「私が22歳の時に祖父が亡くなった。その祖父が小倉陸軍造兵廠(しょう)という軍の兵器を造る大きい工場があったのですが、そこで働いていたというのを亡くなったあとに聞いて。」

和田さんの祖父が働いていた、旧日本軍の兵器工場「小倉陸軍造兵廠」。1945年8月9日に、アメリカ軍が原爆投下の第一目標としていた場所です。

■和田さん
「広島・長崎は、人ごとじゃないなと改めて思うようになって。なにか自分にできることはないかなと思った。」

和田さんは、福岡市の原爆被害者の会に入り、朗読などの活動に取り組むうちに、語り部に挑戦したいという思いを強くしました。しかし”戦争を知らない”ことへの葛藤も抱えていました。

■和田さん
「被爆者は、大切な家族を失った記憶、そのとき見た悲惨な光景がずっと忘れられない。それをなかなか語りたがらないと聞くので、そのまま語らずに亡くなった被爆者の方もいる。それを、家族に被爆者がいない私が果たして語っていいものかと今は悩む部分。うまく伝えられるかなという不安もある。」

和田さんの背中を押したのは、体験を引き継いでほしいという被爆者の人たちの思いでした。

■和田さん
「片腕のちぎれた女の人、両足の肉がめくれて骨がむき出しになっている男の人、吹き飛ばされて屋根の上で死んでいる子ども。赤ちゃんをしっかりと抱いたまま、死んでいる母親。むごい死に方の馬たち。私は大声で泣きました。」

和田さんが語ったのは、13歳のときに広島県で被爆し両親を失った、安部民子さんの体験です。証言集に残されていた安部さんの鮮明な被爆の記憶を読み、多くの人に知ってもらいたいと自ら選びました。

■中学2年生
「すごい言い方で、あれかもしれませんけど、グロい。こんなにすごい影響与えるんだって。 イメージよりずっとすごかったです。」
「戦争がまだ終わっていないとおっしゃっていた。やっぱり何年も経っているので、 もう終わっているのかなって思ったが、まだ続いているんだなっていう実感が持てた。」

■和田さん
「戦争を知らない世代から、知らない世代へ伝えていくのって本当に難しいと思うんですよね。一番、風化していくことが怖いなと思ってるので、みんな人ごとじゃないんだと思ってもらえるといいなと思っています。」

消えゆく“戦争の記憶”をどうやって語り継いでいくのか。戦争を知らない世代の模索が続いています。