米倉涼子、松崎しげるも弔辞 「目指したい存在ナンバーワン」 涙ながらに西田敏行さんをしのぶ
涙ながらに西田敏行さんをしのぶ米倉涼子さん
2024年10月に虚血性心疾患のため76歳で亡くなった俳優の西田敏行さんのお別れの会が18日に営まれ、親交のあった俳優仲間たちが西田さんをしのびました。
お別れの会には親交のあった著名人や関係者約850人が参列。祭壇は、西田さんの生まれ故郷である福島県の『磐梯山』と『猪苗代湖』をモチーフに、合計4000本にも及ぶ菊や梅などの花で彩られていました。
これまで、ユニークな演技と明るいキャラクターで数多くの作品に出演した西田さん。会場には、代表作となった『釣りバカ日誌』シリーズのポスターなども飾られていました。
ドラマで共演経験のある米倉涼子さん(49)は、「いつしか西田さんから、敏ちゃんという存在に、憧れから願いかなって、共演者、飲み仲間、カラオケ仲間、そして、相談相手にもなっていただき、いつしか、目標とする俳優になりました。私にとって、俳優としても、人間としても、目指したい存在ナンバーワンなのです」と語りました。
続けて「天国から、これからもずっと、日本のエンターテインメント界を見守ってください。そして、気が向いたら、私の体を使って、お芝居をしに来てくださいね。大好きだよ」と涙ながらに語り、西田さんをしのびました。
そして、西田さんと公私ともに50年来の付き合いがある松崎しげるさん(75)は「亡くなる10日前に僕ら飲みました。飲んだ、久々に。その時に、“大谷翔平はすげえな、すごい記録だな。かっこいいな”って。でも、にしやん、あんたも記録ずくめですごいぜ、大河ドラマの主役、最多記録だってさ、あの記録はやぶれそうもないって。顔をくしゃくしゃにして、“そうか、そうか”って」と西田さんとの思い出を振り返りました。
最後に「まだ、さよならが言えてません。言うつもりもないよ。西田敏行、本当に僕の青春を一緒に闘ってくれた。すばらしい友でした。ありがとう。また会いましょう。」と話し、西田さんをしのびました。
(2月18日放送『news every.』より)
お別れの会には親交のあった著名人や関係者約850人が参列。祭壇は、西田さんの生まれ故郷である福島県の『磐梯山』と『猪苗代湖』をモチーフに、合計4000本にも及ぶ菊や梅などの花で彩られていました。
これまで、ユニークな演技と明るいキャラクターで数多くの作品に出演した西田さん。会場には、代表作となった『釣りバカ日誌』シリーズのポスターなども飾られていました。
ドラマで共演経験のある米倉涼子さん(49)は、「いつしか西田さんから、敏ちゃんという存在に、憧れから願いかなって、共演者、飲み仲間、カラオケ仲間、そして、相談相手にもなっていただき、いつしか、目標とする俳優になりました。私にとって、俳優としても、人間としても、目指したい存在ナンバーワンなのです」と語りました。
続けて「天国から、これからもずっと、日本のエンターテインメント界を見守ってください。そして、気が向いたら、私の体を使って、お芝居をしに来てくださいね。大好きだよ」と涙ながらに語り、西田さんをしのびました。
そして、西田さんと公私ともに50年来の付き合いがある松崎しげるさん(75)は「亡くなる10日前に僕ら飲みました。飲んだ、久々に。その時に、“大谷翔平はすげえな、すごい記録だな。かっこいいな”って。でも、にしやん、あんたも記録ずくめですごいぜ、大河ドラマの主役、最多記録だってさ、あの記録はやぶれそうもないって。顔をくしゃくしゃにして、“そうか、そうか”って」と西田さんとの思い出を振り返りました。
最後に「まだ、さよならが言えてません。言うつもりもないよ。西田敏行、本当に僕の青春を一緒に闘ってくれた。すばらしい友でした。ありがとう。また会いましょう。」と話し、西田さんをしのびました。
(2月18日放送『news every.』より)
最終更新日:2025年2月18日 21:15