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金丸恭文氏、「勝ち続ける」方程式 1/4

2016年10月6日 17:36
金丸恭文氏、「勝ち続ける」方程式 1/4

 キーワードを基にビジネスのヒントを聞く日テレNEWS24・デイリープラネット「飛躍のアルゴリズム」。今回は、ITコンサルティング会社「フューチャー」会長兼社長兼グループCEOの金丸恭文氏。政府の農業改革や未来投資会議の議員などに起用されるその手腕と理念に迫る。


■経歴

 神戸大学工学部を卒業。学生の時から「早く社長になる」ことを目指していたということで、経営者として必要な「コンピューター、財務、会計」の知識が身につけられる情報サービス会社「TKC」に就職。しかし、その会社では社長になれないと思い、28歳でベンチャー企業に転職。そして35歳で、ITで経営課題を解決するコンサル会社「フューチャーシステムコンサルティング」を起業。また、2000年以降、政府の構造改革など各会議の民間議員に登用されている。


■ビッグネームのお客様を獲得したい!

 フューチャー会長兼社長兼グループCEOの金丸恭文氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。1つ目のキーワードは「セブン-イレブン本社内のファミレスに通い続けた1年半。ついに受注獲得。チームに、救急車で運ばれる人が出るほど根を詰めて納品したのは…」。その舞台裏を聞いた。

――金丸さんは社長になりたいと思われてベンチャー企業に転職しましたが、その会社の社員でありながら、セブン-イレブン本社のファミレスに1年半も通い続けたというのはどういうことなのでしょうか。

 今はもう懐かしい思い出ですけれども、私がベンチャー企業に転職したのは28歳のときです。28歳で16ビットパソコンの開発のチームリーダーをやっておりました。そのパソコンは世の中に出たのですが、大手のブランドではなく無名でした。そこでビッグネームのお客様を獲得したいということで周りの先輩がビッグネームといえば、セブン-イレブンを受注したら、世間はびっくりするんじゃないかとそそのかされました。

 周りはとてもできないと思って、私にヒント与えてくれたんですけども意地になりまして、これは何としてでもセブン-イレブンさんと仕事がしたいと思って通い詰めました。東京タワーから近いところに本社ビルはその当時ありまして、1階がファミレスになっており、朝から晩までそこで食事をしながら何回も提案書を書きかえて(最終的には)受注することができたということです。


■“かゆい所に手が届く”提案ができるように

――近くのセブン-イレブンの店員さんとも仲良くなったという話を聞いたのですが、これはどういうことでしょうか。

 お仕事を一緒にさせていただく上で何か提案をしなければいけないので、セブン-イレブンの現場といえば店舗ですから、私がその当時住んでいた近くのセブン-イレブンに夜遅く帰ったら、必ず寄るようにしておりました。ほとんど毎日、お店に寄ってそのお店の人と仲良くなって、お店の課題をお店の人から聞いて、そういう意味では現場の問題をじかに見ることができたということで、それが新しい提案につながったということです。

――この1年半というのは取引で報酬を得ていたわけではなく、全く普通に何も取引がなくて1年半提案されるということですよね。

 もちろん、そうです。セブン-イレブンからすると、どこの馬の骨かわからない若者が訪ねてきて、提案を毎日してくる。興味は抱いていただいたと思いますけれども、それでビジネスチャンスをいただけるまでにそれくらいの信頼関係を築いたり、それから私がそのセブン-イレブンの現場を学んで、本当にそのかゆい所に手が届くような提案ができるようになるまで、それくらいの時間がかかったということです。


■役員に工場に連れて行かれる“頼もしい存在”に

――急に休日に「行くぞ」と言われて連れて行かれたという話を聞いたのですが…

 ずいぶんと信頼していただいたので、後半はセブン-イレブンの役員の方から、週末におにぎり工場に行くからとか、漬物工場に行くからという事で、現場の工場の改善とか改革を“ITを使ってやる”という提案をお客様から言われて、頼もしい存在のように扱っていただきました。そのため無報酬ということは気にもしなかったです。そう意味ではバーチャルなセブン-イレブンの社員というふうに自覚していました。

――具体的にどのようなものを提案されて受注を勝ち取られたのでしょうか?

 セブン-イレブンのビジネスモデルというのは、仮説検証型というビジネスモデルといいますか経営戦略です。そうすると現場のデータを見て、その変化をとらえて、翌日にまたその変化に対応していくという連続です。日々の結果がコンピューターの中でわかりやすいグラフで出るような最後の情報分析をするパソコンが必要でした。そういうパソコンをハードウエアとソフトウエア、丸ごと作らせていただきました。


■この仕事の成功により怖いものがなくなった

――提案したときの反応はいかがでしたか。

 大手のコンピューターメーカーさんがさじを投げたものでしたが、私たちは若いチームでしたから相当スピーディーにプロトタイプを作ったりして紙の提案ではなく、もう目に見えるパソコンを2週間ぐらいで最初のものはつくりました。ですから、すごく喜んでいただきました。さらに、目に見える形でお持ちしたのでセブン-イレブンの方から、もっとこうしたほうがいいのではというアイデアを逆に引き出すこともできたので、結果的にはいいものになったんじゃないかなと思います。

――チームで救急車で運ばれる人が出るほど、根を詰めて納品されたということですが、そういった苦しい経験というものが今のビジネスにも生きているのでしょうか?

 29歳のときに、このプロジェクトが成功してもう怖いものはなくなりました。実はこのお客様であるセブン-イレブンさんも私たちに頼んでおいて、そんなにできるとは思っていなかったということです。セブン-イレブンの方々も「怖いものがなくなった。世の中にできないものはないと思った」とおっしゃっていました。