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“トップレス”で生きる~マラソンとAIと哲学【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】

2025年5月17日 18:09
“トップレス”で生きる~マラソンとAIと哲学【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
ロンドンマラソンで写真撮影に応じるルイーズさん

私の“普通”は誰かの“違和感”かもしれない――イギリスで乳がんを乗り越え、トップレスでロンドンマラソンを走りきった1人の女性の姿は、私たちの「あたりまえ」を揺さぶった。偏見、合理性、AI、哲学…見えてきたのは“人間らしさ”とは何か、という問いだった。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

■トップレスで走る哲学…「あたりまえ」を揺さぶる

4月下旬、イギリスで行われたロンドンマラソンのゴール付近で、風景が止まったように感じた瞬間があった。人々の歓声の中、トップレスで走り抜ける1人の女性――それがルイーズ・ブッチャーさん(51)だった。2022年に乳がんを患い、がんが見つかった左胸を切除した2週間後、健康だった右胸も切除することを決めた。女性の外科医師は「メンタルヘルスに悪影響を及ぼすから、乳房の再建手術を受けた方がいい」と勧めたが、彼女は“元に戻る”ことより“今の自分”を選んだ。

「自分ではないものを戻す必要を感じませんでした。胸を残すことは、他人や社会に自分を合わせることでした。 だから再建手術を拒否したんです」

両腕を高らかに上げてゴールを走り抜けたその姿は、多くの人の「あたりまえ」を揺さぶった。トップレスで走ることについて、ネット上で批判されたり攻撃されたりしたこともあるという。

「スティグマ(偏見や差別)は女性に対する社会的な見方…“乳房が性的なもの”とされてきた歴史から来ているのです。だから、議論を呼ぶことは当然だと思っていたし、ポジティブにもネガティブな反応にもなることは分かっていました。それに、そうした反応を望んでいたんです。私の“普通”は誰かの“違和感”かもしれない――でも、こうした議論が起こる時こそ、変化が生まれる時ですから」

取材後、私は彼女の選択がいかに「常識」や「合理」といった言葉では測れないものであったかを考え続けていた。取材から帰宅し、イギリスの学校に通う12歳の息子にルイーズさんの決断について話した。乳房を再建しないことを選んだ上にマラソンをトップレスで走るなんて、すごく勇気がある…と興奮して話す私に、息子はこんな話を持ち出した。

「きのう学校で、ITの特別授業があったんだ」
――ああ、『ネットは危険』とか『中毒になるよ』とか、そういうこと?
「うん、それもあるけど、僕が面白いと思ったのはさ、“AIの思い込み”ってやつ。たとえば『ハウスキーパー』と聞いて、どんな人を思い浮かべる?」
――う~ん、市原悦子かな。
「何それ」
――『家政婦は見た!』…知らない?
「知らない」
――『家政婦のミタ』は?
「…知らないよ」

そうか、どちらも息子が生まれる前のテレビドラマだった…と遠い目になった私を尻目に、息子は軽くため息をついてからこう言った。

「あのね、AIは『ハウスキーパー』っていうとエプロンした女性、『ストアマネージャー』っていうとスーツを着た男性を描くんだって。つまり、人間のバイアスがAIにも伝染してるってこと。だから、『女性は胸がなきゃいけない、だからルイーズさんはすごい』みたいなのも、ママの思い込みっていうかバイアスみたいなものなんじゃないのってこと」

ぎくりとした。日々、ジェンダーにまつわる偏見などをテーマに扱っているにもかかわらず、自分自身の「刷り込み」に気づかなかった。それは自分だけでなく、社会全体、データ、AI…あらゆる場所に潜んでいるはずだ。

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