【戦後80年】「自分にとっての平和」考え始めた15歳の高校生 できることは何? 踏み出した一歩
福岡市の公民館で開かれた、被爆者の証言を聞く会。15歳の迫田逢󠄀紀(あいき)さんは、最年少の参加者です。
■参加者
「何年生?」
■迫田逢󠄀紀さん(15)
「中3です。」
会は、証言集を毎年発行しているエフコープの主催で開かれました。逢󠄀紀さんは活動に携わる母について来ていました。
■広島で被爆・米尾淑子さん(90)
「広島の空、いわゆる原爆雲が、見たことない雲が下から湧き起こってきた。」
広島に原爆が落とされた1945年8月6日。当時、小学4年生だった女性は、疎開先で負傷した兵士たちが次々と運ばれてくる様子を目の当たりにしました。
■米尾さん
「ドロドロの人間の荷物。被爆者ということも当時はわからない。トラックから降りたら『水、水』と言って来る。あのころはポンプで校庭にある水を飲んでいた。そうしたら『飲んだらいかん』『飲んだら死ぬぞ』とメガホンで言われた。」
時を経てもなお、生々しく語られた記憶。逢󠄀紀さんは、想像を巡らせながら耳を傾けていました。
■迫田逢󠄀紀さん(15)
「死んでもいいから飲みたいぐらい苦しいもの。核や原爆がどれだけ人に害を与えるものなのか、一番印象に残りました。被爆者は減っていくけれど、今後も伝えていくべきだと改めて感じました。」
何か自分にできることはないか。ヒントを得ようと、この日、逢󠄀紀さんは勉強会に参加していました。
登壇した大学院生の藤田裕佳さんが話したのは、高校時代の経験です。
■藤田裕佳さん(25)
「ドイツに留学した時に初めて難民と出会って、今、核兵器が存在していることを初めて知って。平和ではないことに気づいていないだけ、知らないだけと考えて、高校生平和大使の応募を決意しました。」
全国で選ばれた高校生たちが平和活動に取り組む「高校生平和大使」。18歳だった藤田さんは佐賀県の代表として核兵器廃絶を求める署名活動を行い、集めた署名を国連へ届けました。
■藤田さん
「平和活動は、誰でも、どこでも、いつでもできる。全員がそれぞれのレベルで平和活動ができると思っています。」