【特集】マスターは“聴覚障がい者” 音のない世界で生きる「生きづらさ」 39歳男性の新たな挑戦《新潟》

長岡市に耳の聞こえないマスターが営むカフェがあります。コンセプトは音を必要としないカフェ。
「聴覚障害者が抱く生きづらさを少しでも減らしたい」
マスターが取り組む新たな挑戦とは……。
春を告げる鳥のさえずり……信号機の音や救急車のサイレン……世の中は“無数の音”であふれています。
でも、音のない世界で生きていくとしたら……。
Q)今、車が来ましたが音聞こえましたか?
【倉又司さん】
「少し……今みたいに車が通ってもどちらから来ているのかわからないです」
長岡市に住む倉又司さん(39)。生まれた時から聴覚に障害があり耳が聞こえません。
倉又さんは長岡市でカフェ「NOBI by SUZUKICOFFEE」を営んでいます。
コンセプトは“音を必要としないカフェ”。手話と優しい笑顔で出迎えてくれます。
Q)お金は別々?
「お金一緒?別々?」
<カフェの客>
「別々」(ジェスチャーしながら)」
自慢は苦みと酸味のバランスの良い香り豊かなブレンドコーヒー。静寂の中に、にぎやかな手話のやり取りが行き交います。
<カフェの客は>
「私も勉強し始めてから先生や周りのろう者の方と話す機会があったんですけど、それまでなかったのでこういう場がたくさん増えるといいなと思います」
音を必要としないカフェ。そのオープンは耳の聞こえない倉又さん自身が抱く「生きづらさ」がきっかけでした。
【倉又司さん】
「出かける際にも命がけという感じです。聞こえる人にとっては、どこに行っても音で知らせてもらえますが、私たちは聞こえないのでどこに行っても自分を守らなけ ればいけない緊張感があります。だから非常に疲れます」
少年時代の違和感……周りにいるのは耳が聞こえる同級生ばかりでした。
【倉又司さん】
「友達との会話もできない担任の先生の話も分かりませんでした。勉強もついていけず小学5,6年生から家に引きこもっていました」
『どうして自分だけ耳が聞こえないのか』
耳が不自由なためうまく言葉を発することができず、からかわれることもあり孤独を感じていました。
小学校を卒業後はろう学校へ進学。その後は工場やろう学校の指導員として働きましたが、耳の聞こえる人に囲まれて働くのは苦労の連続でした。
【倉又司さん】
「心を豊かにするはずのコミュニケーションが私の場合は苦しいばかりでした」
『障害の有無にかかわらず誰もがのびのびと過ごせる居場所を作りたい』
その思いで去年、カフェのオープンにこぎつけたのです。
<カフェの客>(手話で)
「おいしい!また来ます。ありがとう」