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「平成」考えた人は誰?30年の謎に新資料

2019年3月29日 18:08
「平成」考えた人は誰?30年の謎に新資料

「平成」に代わる新たな元号の発表まであと3日。発表は来月1日、月曜日の午前11時半頃に行われる事になった。こうした中、「平成」という元号に決まる過程の中で、「最大の謎」とされてきた、考案者の名前が書かれた文書が存在する事が我々の取材で明らかになった。

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東京・千代田区にある国立公文書館。「改元」を目前に控え、人気商品となっているのが「平成」と書かれたクリアファイル。

国立公文書館職員「当時、小渕官房長官が掲げたあのシーンを懐かしく思い出されるといった声を多くいただいております」

今から30年前の“あのシーン”と言えば…

小渕官房長官(当時:1989年1月7日、首相官邸)「新しい元号は平成であります」

昭和天皇が亡くなってからわずか8時間後に発表された、「平成」の元号。当時、政府はひそかに元号の選定作業を進めていた。

■極秘に保管されていた2種類の文書の写し

「平成」発表の少なくとも数か月前から官邸で極秘に保管されていた2種類の文書の写し。30年余りにわたって関係者が保管してきたものだ。

1つは、「新元号原案一覧」と題された文書。候補名として「平成」「修文」「正化」の3案が手書きで書き込まれている。

もう1つは、出典や引用文が候補案ごとにまとめられた3枚の文書。「平成」の紙には、「考案者氏名」として「山本達郎」の名が記されている。

山本達郎氏は2001年に亡くなった元東大名誉教授で東洋史の研究者。近年、「平成」の考案者だと明かされたが、考案者をめぐっては、陽明学者の安岡正篤氏の名前も挙げられるなど、一部で論争になってきた。

■“極秘”文書は誰が目にした?

こうした中、初めて明らかになった考案者を記した公の文書。当時、この文書を誰が目にしたのかも取材で明らかになった。

昭和天皇が、亡くなる2年前開腹手術を行った頃の事。首相執務室で、当時の竹下首相と小渕官房長官は3枚の紙を考案者は伏せた状態で見せられたという。

竹下首相は

「うまくやってくれ」

事務方に、一言こう話したという。

その後、1988年9月19日、昭和天皇が大量に吐血。この頃、小渕氏は

「これが世に出たら大変な事になる」

周囲にこう語り、2つの資料を官邸の金庫にひそかに保管させたという。

では、当時、政府で元号選定を担当していた元内閣内政審議室長の的場順三氏は2つの資料を目にした事があるのだろうか。

まず、「新元号原案一覧」と題された文書を見せると――

元内閣内政審議室長・的場順三氏「こういうので説明したような気がおぼろげながらしますね。(Q:どなたに説明を?)懇談会ですよ。(Q:お配りになった?)配って引きあげましたよ」

有識者が出席した懇談会で示した資料だと明かした。

一方、考案者が書かれた紙について改めて聞くと――

的場順三氏「当時の総理や官房長官が20年たったらきちんと公表してもいいよなと言っておられたのは、こういう(文書が明るみに出る)事を見越してかな。それしか言えないね」

“秘中の秘”とされてきた、元号の選定過程。「平成」改元の経緯などを記した文書を政府が公開するのは早くても5年後(2024年3月末)になる。