空襲受けた建物を解体から守れ 秋田市

終戦前夜、日本で最後に空襲を受けた地域の一つである秋田市の土崎地区には、今も空襲の恐ろしさを後世に伝える痕跡が多く残っている。その一つが、老朽化を理由に解体される方針であることがわかった。
太平洋戦争の終結からまもなく67年-。秋田市の土崎地区周辺には、今も日本最後の空襲の傷痕が多く残っている。秋田市飯島の雲祥寺には、爆撃によって壊れてしまった、通称「首なし地蔵」と呼ばれる地蔵がある。現在は公園となっている光沼は、熱さを逃れて押し寄せた多くの人が犠牲になった場所の一つだ。
そして、戦争の傷痕が残る唯一の建物が「JX日鉱日石エネルギー」秋田事業所内にある施設。この建物の内部には、空襲を受けて焼けただれたコンクリートが当時のまま残り、土崎空襲を後世に伝える貴重な場所として、長年、見学場所の一つとなってきた。ただ、終戦から約70年がたち、老朽化が進み、倒壊するおそれもあることなどから、JXは将来的に解体する方針を決定。すでに施設の見学も中止の措置がとられている。
長年、土崎空襲を語り継いできた土崎港被ばく市民会議・高橋茂さんは、建物を取り壊すとの会社側の方針を伝えられ、何とか残す方法はないかと考えている。
高橋さん「日本最後の傷痕を消さないで、そのまま太平洋戦争の悲惨さとして、最後の土崎空襲の無残さをつないでいく、そういう建物として残してほしいなと」
市民会議は今後、秋田市とも話し合い、建物を存続する方法を模索していきたいとしている。