日テレNEWS
社会
2019年9月13日 20:17

中川翔子×いじめ9 いじりとの境界線

中川翔子×いじめ9 いじりとの境界線
(c)NNN


■著書のタイトルでもある“死ぬんじゃねえぞ”の意図

ちょうど、収録している今日が世界自殺防止DAYなんですよね。本当に9月は自殺が多いみたいです。いじめに耐えきれず自殺したら、いじめてきた人達に一生残る傷を負わせられるのではないかと思うかもしれないですが、まったくそんなことはないです。加害者は結局言い訳して、許されることはないけど、笑って生きていく。そうしたら、これまでいじめを我慢したことが全部無駄になります。死んでしまうと、「ああよかった」という気持ちを未来で感じることができない。

だったら、なんとか生きて「ああよかった」とか、あの日の自分に「よかったね」って言える自分にしてやりたい。「死ぬんじゃねえぞ」って少し強い言葉になっちゃったかもしれないですけど、「生きててよかったな」っていう気持ちから出た言葉だったので。「死ぬんじゃねえぞ」の成分は「生きててくれてありがとう」と「長生きしてね」ということでできてます。


■“死ぬ”は“正解の選択肢”じゃない

長生きしたら面白いことっていっぱいあるじゃないですか。おいしいものが出てくるし、宇宙に行けるかもしれないし、大好きな人ができるかもしれない。うれしいものに会えるかもしれない。 思いもよらない形で「夢」ができて、叶うかもしれない。私は今までの人生で、全部がありました。だから、本当に若くして命を絶ってしまった友人のことは、絶対に忘れないのと同時に、もう少し生きていてくれてたら「もっと上書きできたね」って絶対言えたなと、とても悔しく感じます。死んだら本当に今まで悩んだこと全部が無駄になってしまいます。


■なんとかしてでも生き続けることの意味

生きてさえいればそれは無駄じゃなくて全部経験値で変えられると思います。

生きていると色々あります。全部うまくいくとか絶対ないし理不尽なことがたくさん起きて、「ああしんどいな」とか「なんで」とか、気持ち的にはめちゃくちゃ揺らぐこともたくさんあります。でも、あの時「やめないで良かった」とか「死なないで良かった」っていうのは何度も思います。マイナスな気持ちよりも、「ああ、生きていてよかった」の大きさとか数とか光の方がとても大きい。

生きていたら、「うれしい」「おいしい」「楽しい」は待っています。しんどいことがあってもその分「本当にやめないでよかった」「死なないでよかった」って、思うための道だと考えるしかないと思います。


■中川さんの人生に対する意気込み

あとは一度きりの人生だから、走馬灯を七色に染めたいと思っています。「これが楽しかったな」「これもできたな」とか「あれが嬉しかったな」とか「あれがおいしかったな」とか。あとは、何事にも「せっかくだし」が心の口癖になってきました。昔は「どうせ私なんて」が口癖だったけど、「せっかくだし」とおもっとかないと、どうせいつかみんな死んじゃうので、人生を短くしちゃったらもったいないですよ。


■子どもは純粋だけど残酷…耐性がない分トラウマになる

芸能界に入った人っていじめられる人ってとても多く感じます。昨日もたまたま久々に会った子が可愛いのに、とてもいじめられてたということで「何でだよ」って思いました。その一方で、こんな子がいじめられていたと考えたら、思春期の時の子供の攻撃性ってすごいなと思います。子どもって、純粋で残酷でっていう一面も持っていて怖いですよね。

受けるダメージだって大人と違って防御力がまだないからちょっとのヒビが大きく広がっちゃいますし、そのトラウマが20代前半まで続くこともあります。だからいじめの経験はないに越したことはないですが、いろんなところで起きてしまっているので減らすことに注力するべきです。


■いじめの境界線

されたら嫌だと思ったらいじめだと思いますけど、その解釈は難しくて、「それいじめなの!?」みたいなことももちろんあります。 だけど明らかにそんなのひどいっていうことのほうが、圧倒的にやっぱりいじめに区分される割合は大きいです。


■いじめといじりの判断基準

いじられてる方は笑っていたら難しいですけど、本当に「しんどいな」って感じている子は、やっぱり様子で分かると思います。学校でのいじめにしても、ただ行きたくないとかじゃなくて、本当に心が壊れているとしたら、その子の様子からわかると思います。


■“正しい選択肢”としての学校に「行かない」

学校に「行きたくない」から「行かない」とかではなくて、心を守るために「行かない」。行かないのだったら、別の選択肢はあると思います。子供が学校に行かず終わらすのではなく別の道を探すということは、親にとっても大切な情報ですよね。