恩田アナ、乳がんを経験して伝えたいこと
2年前に「乳がん」を宣告された、中京テレビの恩田千佐子アナウンサー。闘病の様子を郡司恭子キャスターが取材しました。
愛知・三重・岐阜の東海3県が放送エリアの中京テレビ。平日夕方放送されている、報道番組「キャッチ!」で、恩田千佐子さんは7年間、メインキャスターを務めています。
恩田さんは約2年前、50歳の時に乳がんを宣告され、番組で告白しました。
当時の恩田アナウンサー「私は来週から2週間ちょっと、この『キャッチ!』をお休みさせていただきます。それは右側の初期の乳がんということが分かり手術をするためです」
以降、闘病の記録を包み隠さず伝え続けてきました。
郡司キャスター「どういう順序で(病気が)見つかったんでしょうか」
恩田アナウンサー「自分で普通に生活している時に(体に)ヒヤっとした冷たい感じがあって触ってみると、乳頭から透明な液が出ていて、人間ドックまで半年くらいあるけれども安心のために病院に行こうかなと思って」
2か月にわたる検査を経て、宣告されたのは「ステージ1の乳がん」でした。
恩田アナウンサー「小さいものだからっていうふうに聞いていたので、手術でその部分だけ取ってしまえば大丈夫、なんなら日帰り手術でもと思っていたんですね」
しかし、現実はそんなに甘くはありませんでした。乳房は全部取るのか、残すのか。また再建をするのか、しないのか、さまざまな「選択」を迫られたのです。
恩田アナウンサー「どんどん大事になっていったので不安が増していきました」
結局、右の乳房すべての乳腺と、手術中に転移が見つかったわきの下のリンパを切除。そして胸の「再建」を選択しました。「再建手術」は乳腺を取った後、重さや大きさを合わせた、シリコンインプラントを挿入するというものでした。
恩田アナウンサー「手術後は手術のあとはもちろん、傷痕は残っていたんですけど、ものすごくきれいだったんですね。お見舞いに来てくれた人とか娘にも見せたんですけど『えっこんなにきれいにできるんだ』って言われてもう大満足だったんですけど」
しかし、傷口が開くというまれな事が起き、シリコンは抜くことに。ところが意外にも――
恩田アナウンサー「右側を全部取ってしまったっていうことに関しては実はそんなに気にならなかったんですね」
一方でショックだったのが――
恩田アナウンサー「その後の抗がん剤治療がもう始まって、乳房の全摘のバランスの悪さとか見た目よりも髪が抜けた方のショックにその後はいってしまったんですね」
胸を失うつらさよりも深刻に感じた「抗がん剤治療の副作用」。キャスター復帰を諦めかけたそうです。
恩田アナウンサー「抜けた姿を自分の顔込みで頭全体を写真で撮ることはできなかったです」
休養は3か月におよびましたが、キャスター復帰へ。「乳がん」を経験した恩田さんが大切に感じたことは――
恩田アナウンサー「長く生きるために早期発見というのは欠かせないことなので、ちゃんと早く見つけて早く治療始めてほしいと思います」