×

【NNNドキュメント】「一体何人の日本人を…」原爆投下した米兵の苦悩と被爆者の歩み 戦争への憎しみと平和への願い NNNセレクション

2025年4月19日 15:52
【NNNドキュメント】「一体何人の日本人を…」原爆投下した米兵の苦悩と被爆者の歩み 戦争への憎しみと平和への願い NNNセレクション
「絶対に敵を討つ」。被爆者の近藤紘子さんは、原爆を投下した米兵を憎んで生きてきた。終戦から10年後、アメリカで副操縦士のルイスと対面。「私たちはなんてことをしたのか」そう言ってルイスは涙を流した。キノコ雲の上で一体、何が起きていたのか。刻まれた苦悩に迫った。

  ◇

近藤紘子さん
「悪いのは、あの原爆を落とした飛行機に乗っていた人たち。絶対に敵を討つ」

ロバート・ルイス
「後に飛行日誌に記しました。“私たちはいったい何てことをしたのか”」

原爆を落としたアメリカ兵の苦悩。 キノコ雲の上と下の記憶をたどる。

  ◇

被爆者の近藤紘子さん(79)。

近藤紘子さん
「そのとき突然、家が潰れた」

牧師の娘として生まれた近藤さんは、当時生後8か月。 広島の爆心地から1.1キロの地点で建物の下敷きになったが、一命を取り止めた。
近藤さんは戦後、教会に集まった人々のケロイドを目の当たりにし、憎しみを募らせた。

近藤紘子さん
「あの人たちさえ(原爆を)落とさなければ。絶対見つけ出して、パンチするか、かみつくか、蹴飛ばすか、絶対にして敵を討つ」

1955年、被爆者の支援をよびかけるため、アメリカの番組に家族で出演した。
そこで対面したのが、原爆を落とした「エノラ・ゲイ」の副操縦士、ロバート・ルイスだった。

近藤紘子さん
「ずっと思ってた敵を、やっつけようと思った1人が目の前にいる! だから、そのおじさんをずっと睨みつけていた」

ところが、目にしたのは思いもよらぬ姿だった。

ロバート・ルイス
「後に飛行日誌に記しました。“私たちはいったい何てことをしたのか”」

日誌に記した言葉。
“私たちはいったい、何てことをしたのか”

近藤紘子さん
「それを言ったあと、彼の目から涙がこぼれ落ちるのを、しかと見た。 私が憎むべきは、あの飛行機に乗っていた人、キャプテン・ルイスではない。私が憎むべきは、戦争を起こす人間の心の中の悪。それは今でも、彼に本当に感謝している。私を変えてくれた」

キノコ雲の上で、何を感じていたのか。私たちは、搭乗員たちの音声と手記を独自に入手した。
極秘裏に進められた任務。彼らは、10か月間にわたる厳しい訓練を積んだ。そうして選ばれた、12人の兵士。

原子爆弾「リトルボーイ」を積んだエノラ・ゲイは、8月6日未明、太平洋のテニアン島を飛び立った。

ルイスが当日、機内に持ち込んだ日誌。

【ロバート・ルイスの日誌】
『午前2時45分。時間通りに出発』
『午前7時半。爆弾の準備が整った。さあみんな、もうまもなくだ』
『(爆撃手の)トム・フィアビ―は目標に照準を合わせ、投下した。次の1分間、誰も何が起こるか分からなかった』
『爆撃手とパイロットは強烈な閃光(せんこう)を目撃した』

ロバート・ルイスの音声
「オゾンの味がした。それは空気中の放電で、私をすぐに突き抜けて、とても嫌な味がした。目の前にあった川の支流や橋、路面電車がはっきりと見えた街は、もう見えなくなっていた」

近藤紘子さん
「家が一瞬にして潰れた。母はまず私を外に急いで出して、そして母が外に出たらもう、火が付き始めていた家に。隣の家も何も、そこら辺がずっと燃えていた」

【ロバート・ルイスの日誌】
『いったい、何人の日本人を殺したのだろう?私たちは何てことをしたのだろうか』
『私が100歳まで生きたとしても、この数分間が頭から消えることはないだろう』

ルイスは戦後、5人のこどもをもうけ、家族と共に過ごした。彼の人生をたどる中で、私たちは1枚の写真を独自に入手した。
キノコ雲の彫刻をするルイス。原爆投下の苦悩が消えることはなかった。台座に向かって流れるのは、原爆による人間の血。
タイトルは、『広島に神風?』
疑問符に、葛藤の思いを込めた。原爆は『神の風』か、それとも『地獄の風』か。

被爆者の近藤紘子さん。大学進学とともにアメリカで生活し、日本に戻ってきた後、証言活動を続けている。
決まって伝えるのは、憎しみを許しに変えた、ロバート・ルイスとの出会い。

近藤紘子さん
「私はじっと彼を見つめていた。そうすると、彼の目から涙がこぼれ落ちるのを見た。その瞬間、私はこの人を憎んではいけない。憎むべきは、戦争そのものなのだと分かった。もう二度と過ちは繰り返さない」

ルイスとの出会いを胸に訴え続ける。過ちは繰り返してはいけない。私たちは、同じ人間なのだから。

近藤紘子さん
「どこから来ましたか?」

パリからの観光客
「パリです」

近藤紘子さん
「私は広島の被爆者です。この街で起きたことを忘れないでください。私たちの手で、この世界を平和な世界にしていきましょう!」

パリからの観光客
「是非、そうしましょう」

2024年10月13日放送 NNNドキュメント’24『キノコ雲の上と下~米兵の心に苦悩を刻んだヒロシマ~』をダイジェスト版にしました。
最終更新日:2025年4月19日 15:52
一緒に見られているニュース