能登豪雨から3日…捜索続く 生活再建へ…ボランティアも活動
能登半島を襲った記録的な大雨から、24日で3日。行方や安否がわかっていない7人の捜索が続いています。元日の地震で受けたキズが癒える間もなく、再び能登を襲った自然災害。それでも前を向き、生活再建に向けた取り組みも始まりました。
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72時間がたっても、娘の安否は分からないまま。24日に見つかったのは…
喜三翼音さん(14)の父
「冬場は(娘は)これを履いて。今は夏なので履いてなかったけど、玄関先に置いてあった。まだ信じています。見つかってほしい、とにかく」
川に流されたとみられる、中学3年生の喜三翼音(きそはのん)さん。家族は、無事を祈り続けます。
翼音さんの祖父、
「(翼音は)中学1年生の頃から、私が朝市通りで店を構えて店をやっていたけど、少しずつ手伝ってくれるようになった。『高校に入ってからも、じいちゃん、ばあちゃんの手伝いをしてあげる』って。孫のいない人生は考えられない。今は1分1秒でも早く、翼音を見つけてほしい。それだけが願い」
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行方や安否が分からない人は7人。懸命な捜索が続いています。震災の爪痕が残る中、能登を襲った記録的な豪雨。住民はこう語ります。
大畑朝子さん・70代(石川・珠洲市)
「地震よりひどいですね。怖い。地震も怖いけど、川の水って怖い」
大畑さんは、地震の被害も大きかったといいますが…
森圭介キャスター
「どれくらいまで水が?」
大畑朝子さん
「ここです」
森キャスター
「線ありますね、私の胸くらい」
大畑朝子さん
「飛び出て。5分遅かったら私、亡くなってましたね」
話を聞いていると、大畑さんの息子が、岐阜から車で7時間、母親の様子を見にかけつけました。
大畑朝子さん
「おかえりー! ありがとね。あんた遠いところからきてくれた。ごめん、ありがとう」
大畑さんの息子
「ここひどいな。入ったら別世界」
大畑朝子さん
「顔見たら泣けた」
大畑さんの息子
「変な体力使うな、ここから長いぞ」
大畑朝子さん
「わかった。頑張るね。ありがとな」
被害を目の当たりにした息子は…
大畑さんの息子
「信じられない。こんなことありますかね、生きてきてこんなこと、ありますかね。みなさんね。みんなに現実を知ってほしい」
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少しずつ復興への歩みも始まりました。地震で被災した人たちが暮らす輪島市の仮設住宅。住み始めて半年もたたない中、豪雨が襲いました。
ボランティア
「こんにちは。ボランティアセンターです」
住人
「ありがとうございます。大変お待ちをしておりました」
ボランティア
「水は出ないんですよね?」
住人
「水は出ないんですよ。水が出れば掃除したいんだけど、水が全然出ないもんで」
ボランティアの手を借りて、今年2度目の生活の立て直し。
住人
「いくら仮設でもね、家に変わりはないからね。泣きたいけど、そんなわけいかんしね。泣いとられんしね」
──今後も輪島に住みたいですか?
住人
「やっぱ輪島住みたいね。完璧に復興するか分からないけど、輪島はやっぱ…生まれて育ったとこやしね。やっぱり住みたい」
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2度目の大きな被害。それでも、強く前を向いている人がいます。珠洲市の温泉「宝湯」の6代目、橋元宗太郎さんに話を聞きました。
宝湯・6代目 橋元宗太郎さん
「ずっとがれきの中で生活している」
創業以来100年以上、地元の人に愛されてきた宝湯は、元日の地震と津波で倒壊。なんとか見つけた源泉を別館にひいて営業していました。
森キャスター
「ここに来るまでも大変だったと思いますが」
宝湯・6代目 橋元宗太郎さん
「大変。すごい時間かかりました。本当に少しずつ復興してきたので」
今回の大雨では床下浸水。お風呂自体は被害を免れましたが、片付けに追われ、ようやく24日に営業を再開させたといいます。
森キャスター
「大雨からまだ3日。地震の時よりは強く気持ちをもてている?」
宝湯・6代目 橋元宗太郎さん
「持てている。なんとか復興したいなって気持ちが逆にわいてきた。ひいじいちゃんとかの時代から、この場所で商売やっていますし。川も氾濫したり、津波もきましたけど、本当に川がきれい、海がきれいな場所で。自然は厳しいけど、いい部分もあるので、進み続けていけたら。(復興)できないわけがない。『必ずできる』と信じてやっていく」