『街に遺る八〇年の記憶』山の手空襲の爪痕が残る表参道の石灯籠【戦後80年プロジェクト】
1945年5月24日から26日にかけて、『山の手空襲』といわれる大規模な空襲が都心を襲いました。番組では『街に遺る八〇年の記憶』と題し日常の風景に今なお残る“戦争の爪痕”を巡ります。今回、米澤かおりキャスターが訪れたのは、山の手空襲によって火の海となった表参道。その爪痕が今も残る石灯籠について、15歳で山の手空襲を経験した泉宏さんに話を聞きました。
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米澤かおりキャスター
「表参道にやってきました。商業施設も多くにぎわいの街ですね」
海外の高級ブランドが立ち並び、多くの人が行き交う東京の表参道。明治神宮の参道として歴史のあるその入り口には…。
米澤かおりキャスター
「表参道の交差点といえば、こちらの大きな灯籠が印象的ですよね。華やかな町並みの中でも存在感があります」
交差点に訪れた人なら誰でも一度は目にする大きな灯籠。1936年に建てられて以来、参道を見守ってきました。
80年前、灯籠からほど近い場所に住んでいたという泉宏さん(95)に話を聞きました。
米澤かおりキャスター
「戦争の爪痕が残っていると…」
泉宏さん(95)
「あそこが剥がれてるでしょ。下の方の石が。あれは全部あそこに火がいったんですよ。火にあぶられているからボロボロになってとれている。あれは風化してなったんじゃないんです」
当時15歳だった泉さんは、この町で大規模な空襲を経験しました。それは東京大空襲からわずか2か月後の1945年5月。24日、そして25日の夜から26日にかけて都心を襲った『山の手空襲』です。
赤坂や青山などの“東京の高台”と、それまでの空襲で焼け残った町を標的にしたとされています。約4000人が命を落としたといわれ、表参道も火の海となりました。
泉宏さん(95)
「代々木の練兵場(現在の代々木公園付近)へ逃げようと思ったんだけれども、今度はやはりだめなんです。行けないんですよ。煙と火でね。空襲というのは一斉に燃えるものですから。火事場の中で逃げ回っているようなものですよね」
翌日。はぐれてしまった父を捜し歩いていると、灯籠のそばで息絶えた多くの人たちが目に入ったといいます。
米澤かおりキャスター
「(当時の光景が)今でも目に浮かびますか」
泉宏さん(95)
「浮かびます。そこを(父を)捜して歩いた」
泉さんの父は今も見つかっていません。80年前を物語る石の灯籠。山の手空襲の爪痕として語り継がれてきました。
米澤かおりキャスター
「(灯籠の姿は)当時のまま?」
泉宏さん(95)
「もうみんな火をかぶっているから。あれがみんな証拠みたいなものですね。戦争なんていうのは人を殺すことと物が壊れることと、全く生産的なものは何もないわけです。だからいま戦後80年というけど、この平和を大事にしなきゃいかんということですよね」
今なお、街に遺る80年の記憶。華やかに姿を変えた町から戦争の悲惨さを語り続けています。
(5月22日『Oha!4 NEWS LIVE』より)