×

『街に遺る八〇年の記憶』山の手空襲の爪痕が残る表参道の石灯籠【戦後80年プロジェクト】

2025年5月22日 23:22
『街に遺る八〇年の記憶』山の手空襲の爪痕が残る表参道の石灯籠【戦後80年プロジェクト】

1945年5月24日から26日にかけて、『山の手空襲』といわれる大規模な空襲が都心を襲いました。番組では『街に遺る八〇年の記憶』と題し日常の風景に今なお残る“戦争の爪痕”を巡ります。今回、米澤かおりキャスターが訪れたのは、山の手空襲によって火の海となった表参道。その爪痕が今も残る石灯籠について、15歳で山の手空襲を経験した泉宏さんに話を聞きました。

◇◇◇

米澤かおりキャスター
「表参道にやってきました。商業施設も多くにぎわいの街ですね」

海外の高級ブランドが立ち並び、多くの人が行き交う東京の表参道。明治神宮の参道として歴史のあるその入り口には…。

米澤かおりキャスター
「表参道の交差点といえば、こちらの大きな灯籠が印象的ですよね。華やかな町並みの中でも存在感があります」

交差点に訪れた人なら誰でも一度は目にする大きな灯籠。1936年に建てられて以来、参道を見守ってきました。

80年前、灯籠からほど近い場所に住んでいたという泉宏さん(95)に話を聞きました。

米澤かおりキャスター
「戦争の爪痕が残っていると…」

泉宏さん(95)
「あそこが剥がれてるでしょ。下の方の石が。あれは全部あそこに火がいったんですよ。火にあぶられているからボロボロになってとれている。あれは風化してなったんじゃないんです」

当時15歳だった泉さんは、この町で大規模な空襲を経験しました。それは東京大空襲からわずか2か月後の1945年5月。24日、そして25日の夜から26日にかけて都心を襲った『山の手空襲』です。

赤坂や青山などの“東京の高台”と、それまでの空襲で焼け残った町を標的にしたとされています。約4000人が命を落としたといわれ、表参道も火の海となりました。

泉宏さん(95)
「代々木の練兵場(現在の代々木公園付近)へ逃げようと思ったんだけれども、今度はやはりだめなんです。行けないんですよ。煙と火でね。空襲というのは一斉に燃えるものですから。火事場の中で逃げ回っているようなものですよね」

翌日。はぐれてしまった父を捜し歩いていると、灯籠のそばで息絶えた多くの人たちが目に入ったといいます。

米澤かおりキャスター
「(当時の光景が)今でも目に浮かびますか」

泉宏さん(95)
「浮かびます。そこを(父を)捜して歩いた」

泉さんの父は今も見つかっていません。80年前を物語る石の灯籠。山の手空襲の爪痕として語り継がれてきました。

米澤かおりキャスター
「(灯籠の姿は)当時のまま?」

泉宏さん(95)
「もうみんな火をかぶっているから。あれがみんな証拠みたいなものですね。戦争なんていうのは人を殺すことと物が壊れることと、全く生産的なものは何もないわけです。だからいま戦後80年というけど、この平和を大事にしなきゃいかんということですよね」

今なお、街に遺る80年の記憶。華やかに姿を変えた町から戦争の悲惨さを語り続けています。

(5月22日『Oha!4 NEWS LIVE』より)

最終更新日:2025年5月23日 0:32
一緒に見られているニュース
24時間ライブ配信中
日テレNEWS24 24時間ライブ配信中
logo

24時間ライブ配信中