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「沖縄戦」元女子学徒隊員 中山きくさん94歳死去 晩年まで「語り部」その原点とは

2023年1月18日 15:30
「沖縄戦」元女子学徒隊員 中山きくさん94歳死去 晩年まで「語り部」その原点とは
2014年5月 部隊解散後さまよった南部の海岸で

第二次世界大戦末期の沖縄戦で、女学生を動員して作られた「女子学徒隊」の1つ「白梅学徒隊」として戦場に駆り出され、戦後は語り部として長年、平和への思いを訴え続けてきた中山きくさんが、1月12日、がんのため亡くなりました。94歳でした。取材記者がみつめた、きくさんの活動の原点とは。
(日本テレビ報道局 久野村有加)

■初めての沖縄戦取材 きくさん“青春の場所”で聞いた戦争のリアル

当時20代の私が初めて沖縄戦の取材を始めたのは、2014年の5月。映画化され広く知られる「ひめゆり学徒隊」以外にも女子学徒隊があったことを知り、沖縄戦を取材をしてみたいと思いました。中山きくさんはその時、85歳。私が初めてお話を伺った沖縄戦の経験者でした。

待ち合わせたのは、きくさんが青春を過ごした、今はもうない母校の跡地。きくさんは沖縄県立第二高等女学校に通っていた16歳の時、けがや病気の兵士を看護するために作られた女子学徒隊の1つ「白梅学徒隊」に動員されました。「お国のために」と覚悟を決めて行った戦場でしたが、それはきくさんの想像をはるかに超えるものでした。

■女学生が傷病兵の手足の切断手術を手伝う…壮絶な現場とは

1945年3月24日、きくさんは野戦病院に配置されました。それから、わずか1週間ほどの4月1日にアメリカ軍が沖縄本島に上陸したのです。

「ガマ」と呼ばれる薄暗い自然の洞窟の中で、次から次へと運ばれてくる傷病兵の看護にあたったきくさん。血と膿(うみ)とふん尿の臭いが立ち込めるガマの中で、休むまもなく任務にあたりました。きくさんは「手術をする時が一番耐えられなかった」と話していました。傷口からウジがわき、手足を切り落とさなくてはならなくなった兵士。骨を切るノコギリのゴリゴリという音が響く中、きくさんはその体を押さえたり、明かりで照らしたりしながら共に泣いていたといいます。

戦況が悪化し、看護もできなくなってからは、鉄の暴風と例えられるほどのすさまじい爆撃と死体の山の中を逃げ惑い、きくさんは自決寸前まで追い込まれましたが、生き残りました。しかし、22人の学友は命を落としました。

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■「語り部」として精力的に活動 原点は…命奪われた学友への思い