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昭和天皇とマッカーサー(上)

2021年9月7日 10:32

■写真撮影から始まったマッカーサー会見

訪問には藤田尚徳侍従長ら6人が同行しましたが、会見の部屋に入ったのは昭和天皇と元帥、そして通訳を務めた外務省の奥村勝蔵・御用掛の3人だけでした。

会見は37分。最初に写真が撮られます。腰に手を当てて立つ65歳の元帥と、緊張気味の44歳の昭和天皇の、有名な写真です。写真は3枚撮られました。1枚目は元帥が目を閉じ、2枚目は昭和天皇が口を開けていたからです。「写真屋というのはパチパチ撮りますが1枚か2枚しか出て来ません」。歴史的な会見はこうして元帥のジョークから始まりました。

『昭和天皇実録』には、奥村御用掛が残したメモを基に、「マ」「陛下」と発言を明示してやり取りが約4ページにわたって記されています。元帥は冒頭、空軍力や原子爆弾の破壊力は筆紙に尽くしがたく、今後もし戦争が起きれば人類絶滅に至るという考えを示し、終戦の判断は国民を救う英断だったと述べました。昭和天皇は戦争になったことを「自分の最も遺憾とするところ」と答えました。

元帥の演説は約20分続きました。奥村御用掛が『国際時評』(鹿島研究所出版会)に寄稿した「通訳」によると、元帥は緊張の表情で奥村御用掛をにらみ、「Tell the Emperor(天皇に告げよ)」と切り出してとうとうと述べ、通訳を待ってまた「Tell the Emperor」と続けました。「His Majesty(陛下)」とは絶対に言わなかったそうです。

内閣情報局は27日午後、訪問については宮内省発表や司令部の発表以外は扱わないようにという通達を出しました。翌28日の各紙はその通りに伝えましたが、29日朝刊で読売、朝日、毎日の3紙が、会見の写真と、昭和天皇がアメリカ人記者の質問に答えた内容を載せました。

情報局は不敬とみて3紙を発禁にします。激怒したのはGHQ(連合国最高司令官総司令部)です。一切の制限を停止するように命令し、処分は解除されました。

当局が発表した写真なら問題はないのにと不思議でしたが、読売で検閲当局との渉外にあたった高桑幸吉氏の『マッカーサーの新聞検閲』(読売新聞社)に「米人記者グループの入手したものが各新聞社に流された」という記述を見つけ、納得しました。『朝日新聞社史』は「写真と、合わせて掲載された米人記者の天皇会見記が皇室の尊厳をそこない、公安に害があるとして」と発禁の理由を記しています。

敗戦の現実を見せつけるような写真に衝撃が広がります。「ウヌ! マッカーサーノ野郎」。歌人の斎藤茂吉は日記(『斎藤茂吉全集』)に怒りをぶつけています。

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■湿気を除くためにたかれていた暖炉