「家族じゃない人には…」同性パートナーが事故で意識不明に…面会も容体確認もできず選んだ“養子縁組”
──本人にとっては、一番の勇気付けになるかもしれないけれど、対応してくれなかったんですね。タカシさんに同性のパートナーがいることを把握している人は誰かいましたか?
それまで面識はありませんでしたが、タカシさんのお兄さんとお会いして、パートナーということを認めていただきました。お兄さんと一緒に病院に行けるときは一緒に行くというようなことは何回かありましたね。
タカシさんの状況や治療方針について、僕に直接情報が入ってくることは全くありませんでした。僕が病院に問い合わせても(教えてもらうことは)難しいので、お兄さんに連絡して状況を聞くという感じでした。
ただ、お兄さんも僕のことをまだ分かっていなかった。いきなり出てきて、「25年付き合ったパートナーだ」と言っても、なかなか信頼はできなかったと思います。タカシさんのために、僕もお兄さんに積極的に色々言っていこうとも考えましたが、万が一嫌がられてしまったら、もうそこで関係が切れてしまう可能性があったので、 “僕は今、何をしたらいいのだろう”とか、そういう不安は日々抱えていました。
──マサノリさんはパートナーであることだったり、タカシさんと寄り添っていく姿勢を見せるためだったり、色々なことをされたと聞いています。どんなことをされたんですか?
その時から、タカシさんの身体に麻痺が残ってしまう、車椅子生活になることが分かっていました。ご両親になるべく住み慣れた家で暮らして欲しいと事故前によく言っていたので、そうすると本人も同じ気持ちなのかなと思い、自宅に帰らせてあげたいと思いました。そのためには介護が必要と、介護の勉強をして、資格を取りました。経験のため、半年ほど現場で働くということもしました。
■選択肢がなく“養子縁組” パートナーなのに“親と子”に
もちろんありました。病院に問い合わせればすぐ状態が分かるわけですし、本当に(法的に)家族であれば、僕であれば毎日電話をして状況を確認できていたんだろうなと日々考えていましたね。「家族以外には伝えられない情報です」ということは、何度も言われました。
──一番タカシさんのことをよく知るはずのマサノリさんが“家族ではない”ということで、情報を開示されないのは、タカシさん本人にとっても大きな不利益だと思います。状況が進んでいかない中で、どうされたのですか。
僕らの場合は養子縁組という方法を取りました。日本でも同性婚を認めるという動きが進まない中、「やるとしたら養子縁組だな」という彼の言葉を思い出しました。家族となるならば、今できるのは養子縁組しかないのかなと思いました。
──私もゲイの当事者なので、養子縁組という手段は意識します。制度を利用する時、気持ち的には“これで解決”という気持ちなのか、“仕方ないからやる”なのか。どういう気持ちでしたか?
もう選択肢がそれしかない、というところです。「もっとタカシさんの役に立ちたい」
「動けることは動きたい」。本当にできることがそれしかなかったから選んだという感じです。
養子縁組ではタカシさんの方が年上なため、“タカシさんが親”、“私が子”ということになっています。ですが、普通にパートナーとして付き合っていたので、同性婚があったら同性婚を選んでいたと思います。
養子縁組をして、(タカシさんの)大体の手続きができるようになりました。ただ、実際にそういう場に行くと、「お父様のことですね」と言われる。違和感がありますね。今後、人生いろいろある中で、“親と子”という関係でくくられてしまうことがあるのかなということも今、不安は持っています。