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戦後80年 特攻からの生還 爆撃機「銀河」の元搭乗員99歳の証言

2025年5月7日 20:05
戦後80年 特攻からの生還 爆撃機「銀河」の元搭乗員99歳の証言
爆撃機「銀河」 撮影:榎本哲氏

わずか19歳で特攻を命じられ、死を覚悟した男性。最新鋭といわれた爆撃機「銀河」に乗り込み、アメリカ艦隊へ体当たりするはずでしたが、さまざまな偶然が重なり、奇跡の生還を果たしました。終戦から80年を迎える今年、99歳になった男性が当時の記憶をたどります。

◆「怖くも何もなかった…」 特攻を命じられた99歳の記憶

80年前の5月7日、「銀河」の搭乗員として特攻に向かった男性がいます。
三重県熊野市に住む倉本宣男さん(99)。現在は妻(95)と2人暮らしです。

戦闘機で敵艦に体当たりをする特別攻撃、いわゆる“特攻”。
公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、特攻で命を落とした人は、陸軍・海軍合わせて6371人。航空機による特攻だけでも3875人と言われています。

倉本宣男さん:
「(特攻作戦の)命令には逆らえないし、いつかは行かないといけないと思っていたから、行ったときは絶対に失敗せず、確実に戦果をあげないといけないという気持ちでいた」

倉本さんが所属していたのは攻撃第405飛行隊。当時の集合写真には、第706海軍航空隊とともに勇ましい表情で映る、総勢136人の若者たちの姿がありました。

倉本宣男さん:
「戦争ですからね…自分だけ残ることはないですわね。隊長も副長も一緒、みんな逝くんですから」

1942年5月。
当時16歳だった倉本さんは航空機の搭乗員になるため、海軍飛行予科練習生、いわゆる予科練に入隊。乙種18期生でした。

約2年間の訓練を受け、太平洋戦争末期に配属されたのは、鹿児島県にある鹿屋基地。
そこで出会ったのが爆撃機「銀河」でした。

◆戦況悪化で最新鋭の「銀河」も特攻作戦に…死を覚悟した青年

旧日本海軍が太平洋戦争後半に配備した大型急降下爆撃機「銀河」。一式陸上攻撃機と同程度の航続力を持ち、零戦並みの最高速度を出せる最新鋭の機体です。

倉本宣男さん:
「銀河はね、陸上攻撃機。急降下爆撃をしてね、戦況の変化で特攻に変わった」

倉本さんが作戦に加わる頃には、戦況の悪化に伴い「銀河」も特攻作戦に使われるようになっていました。

1945年5月1日。
倉本さんら銀河隊は「第四御楯特別攻撃隊」と命名され、1945年5月7日に「第三次丹作戦」を決行するよう命令が下されます。

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