【皇室コラム】天皇陛下 沖縄とベルリンでかみしめた平和の貴さ
■「本当に戦争は悲惨だな」というつぶやき
記者会見では侍従から陛下の様子も明かされました。
平和祈念資料館では心を強く打たれた様子でした。「遺品のひとつひとつを見て当時の苦しい思いが伝わってくる」。帰りの車の中で話されました。
かつての戦場にサトウキビ畑が広がっていました。「平和な風景ですが、まだ遺骨の収集も終わっていないそうです」という侍従の話に、「本当に戦争は悲惨だな」とつぶやかれました。
機内の様子も紹介されました。沖縄の地図を見ていて、本島南部から東に5キロほど離れた久高(くだか)島に「徳仁(とくじん)」という港があることに気づき、「日本でも私の名前=徳仁(なるひと)=と同じ地名はここだけでしょうね」と笑って話されました。
本島北部の海岸線が見えると、「サンゴ礁のきれいな所が多い。信じられないほど美しい」とも話されました。着陸後とは全く異なる空気です。
2日目の記者会見では、車の中から見えた「キャンプ瑞慶覧(ずけらん)」や「嘉手納(かでな)基地」など米軍基地について質問が出ました。
「宮様の立場として直接申し上げにくいが、西銘知事の県勢概要の中で、県内に占める基地の割合などが説明されており、“非常に(基地の)数が多いので驚きました”と浩宮さまが語った」。侍従の話を琉球新報が伝えています。
復帰50周年式典のお言葉で、陛下は「沖縄には、今なお様々な課題が残されています」と述べられました。「課題」には初めての訪問で「多い」と感じた米軍基地が含まれるでしょう。政治的な発言にならないように配慮したギリギリの発言だと思いました。
■訪問の前に文化や歴史を学んだ16時間
陛下の滞在中の琉球新報や沖縄タイムスの1面を見ていくと、昭和天皇の病気と夏季国体での県勢の活躍のニュースで埋まっています。そのような中で若い陛下は丁寧に予定をこなされていきました。
2日目は夏季国体の開会式に臨んでお言葉を述べた後、県立博物館を訪ねて沖縄の文化にも触れ、ヨット競技などを観戦されました。
3日目は沖縄海洋博の跡地に作られた国営沖縄記念公園を視察、本部(もとぶ)半島にある今帰仁(なきじん)城趾を訪ね、宿泊先のホテルのビーチで郷土芸能をご覧になりました。
4日目は地元のビール工場を見学、競泳競技を見て、午後3時過ぎに那覇空港を発たれています。
訪問を終えて「感想」を発表されています。
「旅行を通して戦争の悲惨さを見聞し、再びこのようなことがないようにとの思いを強めました。戦後の厳しい歴史的状況を克服し、今日の沖縄県を築きあげた県民に敬意を表し、温かく出迎えた人々に感謝します」(要旨)
「浩宮さま沖縄の旅」という記事を琉球新報が23日の朝刊に載せています。厳戒態勢の中、沿道で計17万人が迎えたこと、陛下をひと目見ようと競技会場に多くの人が詰めかけたこと、郷土芸能の視察では県民との触れ合いがあったことなどを紹介し、「“プリンス・ヒロ”の笑顔は県民に確かな印象を残した」「“アイドル”を迎える以上の騒ぎ」と記しています。多くの県民に歓迎されたことがうかがえる書きぶりです。