【解説】「東京・平壌の連絡事務所には強く反対」焦る拉致被害者家族が譲れないワケ…「親世代」は横田早紀江さん1人に
明弘さんが亡くなった今、日本に帰国できていない政府認定の拉致被害者の「親世代」は、横田めぐみさんの母・早紀江さんのみとなった。2月で89歳になった早紀江さんは「むなしい思いをしているし、私もどうなるかわからない」。明弘さんの死去を受け、こうこぼした。
これ以上、無念のまま亡くなる家族が出てはいけない。家族らの焦りは、一層募っている。
■「連絡事務所は有効」石破首相の発言に…家族から危機感
明弘さんの死去から5日後の2月20日、首相官邸を訪れた拉致被害者の家族ら。石破首相を前に、横田めぐみさんの弟で家族会代表の横田拓也さん(56)は、いつになく厳しい口調で訴えかけた。
「なぜ、私たちの必死な叫びは放置され続けるのでしょうか。なぜ国家は無実の拉致被害者を取り戻すために何もしようとしないのでしょうか。私たちの人権、尊厳、自由は、どうしてここまで国家によって無視され続けるのでしょうか。こうした作為は、国家が被害者である私たちに寄り添っていると言えるのでしょうか」
石破首相にこう迫った横田代表は、さらに、ある“懸念”について述べた。
「私たちは、あらゆる機会を通じて、『連絡事務所』と『合同調査委員会』の設置に対して強く反対していることをお伝えしています」
横田代表が強く反対とする「連絡事務所」。東京と北朝鮮・平壌の相互に「事務所」を設置するということで、石破首相は去年の総裁選の際、公約に盛り込み「拉致被害者の帰国を実現するため、交渉の足がかりをつくる」などとしていたものだ。
「北朝鮮の時間稼ぎと幕引きの工作に加担してほしくありません。連絡事務所の設置によって、この問題の可視化は期待できません」「もうこれ以上、待てません。もうこれ以上、私たちを苦しめないでください。連絡事務所設置を論じている段階ではありません」(家族会・横田拓也代表)
■なぜ「連絡事務所」でなく「首脳会談」なのか
「連絡事務所」について、家族がここまで反対するのには理由がある。
歴史を振り返ると、拉致問題をめぐって何かが“進展”したのは、日朝首脳会談だった。被害者5人が帰国した2002年、その後に、その家族が帰国した2004年、いずれも「帰国」という結果が伴ったのは、当時の小泉純一郎首相と金正日総書記によって行われた日朝首脳会談だ。