能登半島地震の被災者が玄界島へ 福岡県西方沖地震からの復興過程を学ぶ
1人が死亡、1186人がケガをした福岡県西方沖地震。福岡市の玄界島はわずか3年という早さで復興を遂げました。その復興の過程を学ぼうと、能登半島地震の被災者たちが玄界島を訪れました。
災害復興の専門家など12人が28日、20年前の福岡県西方沖地震で大きな被害を受けた玄界島に向かいました。
■災害復興の専門家・室崎益輝さん
「(玄界島は)スピーディーな復興を実現している。玄界島の復興の教訓みたいなものを学ぼうと思います。」
2005年3月20日、最大震度6弱を観測した福岡県西方沖地震。震源に近い玄界島は、7割の家屋が全半壊するなど大きな被害が出ましたが、およそ3年で復興が完了しました。
今回の視察には、2024年1月の能登半島地震で被害を受けた、石川県珠洲市の田保新弘信さん(40)も参加しました。
■田保新弘信さん
「(能登半島地震から)まだ1年ちょっとなので、ライフライン、道路の状況はよくない。ちょっとでも学べれば。」
田保新さんは現在も、ボランティアでがれきの撤去や炊き出しなどを行っています。
玄界島について説明したのは、当時、復興に携わった細江四男美さん(70)です。玄界島の復興の裏には、強いリーダーシップの下、素早く地元で合意形成ができたことが大きかったといいます。
その結果、地震発生の翌年には土地の整備が始まり、県営住宅や市営住宅などが建設され、復興が進みました。
■細江四男美さん
「(福岡市に)土地と家を買い上げてもらって、そのお金で新しい家を再建できるようになって、だんだんと先が見えるようになった。」
午後には復興した玄界島を歩き、復興の歴史を肌で感じていました。
■田保新さん
「自分たちの能登半島の大谷地区ではまだ話ができていないので、(玄界島は)島の皆さんでの意見交換の場があったことがよかったと思う。戻って伝えられればと思います。」