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戦後80年 B29が飛び立った「原爆の島」は「玉砕の島」 テニアン島で暮らす日本人女性の平和への祈り

2025年5月1日 8:00
戦後80年 B29が飛び立った「原爆の島」は「玉砕の島」 テニアン島で暮らす日本人女性の平和への祈り

80年前、原爆を載せたB29が広島・長崎に向け飛び立ったのが、テニアン島です。「原爆の島」と呼ばれるテニアン島は、日本人1万5000人が亡くなった「玉砕の島」でもありました。戦後80年。今、この島で暮らすひとりの日本人女性を訪ねました。

テニアン島で暮らす日本人女性

マリアナブルーの海が広がるテニアン島は、北マリアナ諸島のひとつで、日本から飛行機で3時間半ほどのリゾート地・サイパン島の南西に位置します。かつて、この島にあったアメリカ軍機の発進基地から、80年前、原爆を搭載したB29が、広島・長崎に向けてこの島を飛び立ちました。

テニアン島で暮らす佳子・マングローニャさんです。テニアン出身の男性と結婚し、36年前に移り住みました。その後、テニアン高校で日本語教師を務め、2005年からの10年間は、生徒たちを連れて広島を訪問し、原爆資料館を見学しました。

■佳子・マングローニャさん
「自分たちの島から出ていったB29が、広島で原爆を落とした後どうなったか。自分たちの目で見て、初めてわかるんです。」

■佳子・マングローニャさん
「広島へ行った生徒たちだけが、自分の目で見て体感して。でも広島は今、近代的な街に、みんなの努力でなったんだ、自分の目で見て交流を楽しんで、帰ってきました。」

「原爆の島」から飛び立った指揮官・ポール・ティベッツ

80年前、原爆投下部隊の指揮をとったポール・ティベッツ。当時30歳の大佐でした。2004年6月、佳子さんはテニアン島で開かれた戦闘開始60周年の記念式典で、ティベッツに会ったといいます。

■佳子・マングローニャさん
「(原爆を)落としたら、5秒以内にその場所から立ち去れという命令を受けたということが、強く(記憶に)残っています。自分が巻き込まれるので。そのあとの話を、淡々としていました。」

式典には、長崎の被爆者も出席していました。

■佳子・マングローニャさん
「長崎のおじいさん(被爆者)が、前の方に座っていた。怒りでどうしようもない感じでした。頭の中では「この野郎、この野郎、この野郎、この野郎」と考えながら聞いていたと。」

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