戦後80年 広島・長崎で二重被爆した被爆者 「離れたい…」北海道へ渡った被爆者も それぞれの思い【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】
なぜ被爆者は、遠く離れた北海道に渡ったのでしょうか。
■被爆者(手記より一部抜粋)
「自分の秘密を守ろうとして、北海道まで来てしまいました。」
「原爆の投下などなかったら、北海道に来ることもなかったでしょう。」
北海道にはかつて、1000人を超える被爆者がいたといわれています。それぞれの事情で移り住んだ被爆者たちの心の奥には、共通する思いが垣間見えました。
■北海道被爆者協会事務局次長 北明邦雄さん
「広島長崎から遠く離れたい。もしかすれば、忘れたい。広島で被爆したからどうだとか、あれこれ言われたくないというような思いが、北海道に被爆者を多くしている一番底流のところにあるんじゃないかと。」
そんな被爆者たちが、心の拠り所として作ったのが「ノーモア・ヒバクシャ会館」でした。賛同する市民からの寄付も集まりました。しかし北海道被爆者協会は、高齢化を理由に3月末で解散することを決めました。この会館は、地元の学校法人に譲渡されます。4月からは、若い世代などが新たな組織をたち上げ、活動を引き継ぐ予定です。
■北海道被爆者協会事務局次長 北明邦雄さん
「区切りがきたら、直接の体験世代が語れなくなる、動けなくなる。これは致し方のないことですけども、核兵器という非人道的な兵器を使うということは、どんな事情があっても二度と許されない。それは、被爆者だけの問題ではないですよね。」
今も絶えない戦争。「核なき世界」は遠のいています。核兵器の恐ろしさを二度体験した福井さんに、今、世界中で戦争が起きていることについて、話を聞きました。
■福井絹代さん
「見るも嫌、聞くも嫌。恐ろしいもの、戦争は。自分の身に置き換えるとね、この子どもたちが、どういう思いで逃げ惑っているかと思うとね。新聞出ても読まない。子どもかわいそうだもの…」
被爆80年の2025年、福井さんは、故郷の長崎を訪問したいと話しています。一方、広島について聞くと、「広島で一番怖い思いをしたので、あまり行きたくない」と語りました。