戦後80年 広島・長崎で二重被爆した被爆者 「離れたい…」北海道へ渡った被爆者も それぞれの思い【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】
福井さんは長年、家族にも詳細な体験を語っていませんでした。今も積極的に語ってはいませんが、少しずつ話し始めているそうです。あの日の記憶を胸に生きてきた被爆者たちの願いに、今、耳を傾けなければなりません。
【小田成実記者 北の地で生き抜いた被爆者たちを取材して】
私が青森と北海道を訪れたのは3月上旬。北日本は冬まっただ中で、厳しい寒さでした。そんな東北で94歳の福井絹代さんは1人暮らしをしています。「週に3回ヘルパーさんが来てくれるし、1人は何かと気楽なのよ」と、和やかな雰囲気で取材は始まりました。
優しくて親しみやすい福井さんの口から語られたのは、80年間ずっと抱えてきた壮絶な二重被爆体験。つらい記憶を何度も思い出しながら、一言一言絞り出すように語ってくれました。二度も核兵器の恐怖を経験した福井さんが、今、各地で起きている戦争について「見るのも聞くのも恐ろしく、自分の身に置き換えるとつらい」と涙ながらに語ったことが心に重くのしかかるとともに、世界のリーダーたちに耳を傾けてほしい証言だと強く感じました。
翌日に訪れた北海道では、視界が見えなくなるほどの吹雪にあいました。広島・長崎から移住した被爆者たちは、どんな気持ちで厳しい冬を過ごしたのでしょうか。ノーモア・ヒバクシャ会館の建設を提案した被爆者は「自分たちの憩える場所を作りたい」と訴えたそうです。故郷から遠く離れた厳しい土地で、被爆者たちはより結束を強めたのかもしれません。
そんな北海道被爆者協会も、高齢化により解散が決まりました。日本被団協の都道府県組織が解散するのは12か所目です。でも、後ろ向きな選択ではありません。若い世代などが次を担う組織が発足するからです。この方針を日本被団協の総会で報告すると、ある役員から「よく決断してくれた、ありがとう」と言われたそうです。被爆者が抱える課題に向き合い、前向きな決断を下すことは簡単ではないと思いますが、北海道の今後の取り組みを多く人たちが期待しているはずです。