今も弾き継がれる「明子さんのピアノ」 よみがえる記憶と音色 AI技術で写真をカラー化【NEVER AGAIN × 記憶の解凍プロジェクト】
広島テレビの被爆80年に向けた取り組み『ネバーアゲイン』のひとつが、被爆前後の白黒写真をカラー化する「記憶の解凍」プロジェクトです。
原爆の犠牲になった女学生と、彼女が愛用していたピアノを取り上げます。カラー化写真や日記、ピアノの音色を通して戦時下の記憶や思いを、広島テレビの庭田杏珠記者が取材しました。
幸せいっぱいのクリスマスに贈られたピアノ
今から80年前に被爆したピアノの持ち主は、アメリカ・ロサンゼルス生まれの河本明子さんです。19歳で被爆し、亡くなりました。たった一枚しかない明子さんとピアノが写った写真。生まれて初めてのクリスマス。幸せな記憶です。
ピアノは今、レストハウスにあります。譲り受けて保管する「HOPEプロジェクト」の二口とみゑさんに、話を聞きました。
■一般社団法人HOPEプロジェクト 二口とみゑさん
「これが、河本明子さんが愛奏していたピアノです。お父さんの源吉さんは、なんでも全てのことに最高級のものを望む方でした。女の子が生まれたから「ピアノはボールドウィン」と買われたと聞いています。」
明子さんが産まれた年に作られた、家庭用のアップライトピアノ。二口さんに、カラー化した写真をみてもらいました。
■一般社団法人HOPEプロジェクト 二口とみゑさん
「私も初めて気づいたんですけど、赤いサンタクロースがパッと目に飛び込んできて。サンタさんがいたんだと。カラー化することによって、リアルにいろんな発見がありますね。やっと授かった子どものために、何でもしてあげたいというお父さんの親心が、この写真だけでもわかりますよね。」
父・源吉さんが綴った「育児日記」が、原爆資料館に残されています。娘の成長が何よりの楽しみでした。
■父・源吉さんの「育児日記」
「明子のため「クリスマスツリー」を飾る。明子のためにと思う親の心を満足せしむるものなり。」
明子さんも、日記を書いていました。幼いころからピアノに触れ、音楽が大好きになりました。
■明子さんの日記(昭和8年6月24日)
「ピヤノをじょうずにしました」