「差別していることにさえ気付けない」ハンセン病市民学会 志村康さんの遺志継ぐ
熊本で12年ぶりに開催され、全国から約500人が参加した「ハンセン病市民学会」。ハンセン病の歴史の検証や将来への提言を目的に、毎年、開かれています。ことしはハンセン病とされた男性が無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」をはじめ、ハンセン病をとりまく様々な問題について議論したほか、菊池恵楓園の見学も行われました。
菊池恵楓園の向かいにある「合志楓の森中学校」の生徒は、小学生の頃から入所者と交流し学んだことを発表しました。
■合志楓の森中学校3年 人権委員長・徳満帆南さん
「差別のことを正しく知らないことで差別が起こる。自分が差別をしていることにさえ気付けない。正しく学ぶことを大切にしたいと改めて学びの意義を捉え直す人も多くいました」
市民学会設立の1つのきっかけが、2001年5月に国の強制隔離政策を初めて憲法違反と断罪した熊本地裁判決です。この裁判の原告の1人で、市民学会の設立に携わったのが、菊池恵楓園の志村康さんです。
■志村康さん
「私たち被差別者がなぜ社会に向かって“差別をしないで下さい”と言わなければならないのか。現状をみると私たちがやる以外ない」
志村さんは、今回の市民学会で実行委員長を務めていましたが、開催直前の5月1日に92歳で亡くなりました。
菊池恵楓園の入所者自治会で長年、志村さんと活動を共にしてきた太田明さんです。
■太田明さん
「盆栽も好きで花が好きで…こうピンセットもってやっていましたね。至福のときだったんじゃないですかね」
部屋では、本を読んだり、裁判記録を調べたりしていたという志村さん。太田さんは亡くなる直前にも会話をしていました。