【ラストウオーク】“平和外交の礎”「朝鮮通信使」が歩いた道たどる“現代版”の通信使一行が静岡へ
江戸時代、「朝鮮通信使」が歩いたソウルから東京までの道をたどる“21世紀の朝鮮通信使”が静岡県内を通過しています。実は、そこには、静岡との深いつながりや平和外交の礎がありました。
23日、静岡県庁を訪れたのは、日本人や韓国人などで構成された“21世紀の朝鮮通信使”の一行。
(平木 省 副知事)
「みなさまの活動がきっかけとなって、静岡県と韓国、日本の相互理解がさらに進みますよう願っている」
これは、江戸時代の外交使節団「朝鮮通信使」を現代に再現し、ソウルから東京までの約2000kmを歩いてたどるというもの。
そもそも、「朝鮮通信使」とは、江戸時代に徳川家康が秀吉の朝鮮出兵で悪化した日本と朝鮮の関係を修復しようと力を入れた取り組みで、朝鮮から日本へ12回派遣され、「平和外交」の象徴とされました。2017年には、この朝鮮通信使の歴史的意義がユネスコの「世界の記憶」に登録され、国際的にも「平和友好」の象徴として認知されています。そんな朝鮮通信使の平和への思いを現代へも引き継ごうと、2007年に「21世紀の朝鮮通信使」が始まったのです。
一行は、3月9日にソウルを出発し、4月18日に静岡県内へと入りました。そして、今週26日・土曜日まで県内を徒歩で横断し、各地で交流しながら合計53日間かけてゴールの東京を目指します。今回が10回目の開催となりますが、実は、主催者はある大きな決断をしました。それは…。
(日本側の会長 遠藤 靖夫さん)
「少し余力を残して幕を下ろすのもいいのではないかということで、今回で終わりにすることにした」
メンバーの高齢化などを理由に、今回で最後としたのです。そんな一行の勇姿を見届けようと県内に入ると、各地で歓迎イベントやおもてなしがされました。
(日本側の会長 遠藤 靖夫さん)
「きょうは小夜の中山や茶畑、にし楽しみにしています」
新茶シーズンを迎え、萌黄色の新芽が輝く中途中で立ち寄った江戸時代から続くとされる茶屋では…。
(地元の人)
「掛川茶といって地元のお茶」「地元のお茶」
(韓国の参加者)
「あ~おいしい」
さらに、江戸時代からの名物「子育て飴」も試食。
(元祖扇屋 管理人 鈴木 稔さん)
「水あめ。これは江戸時代からずっと続いている」
(元祖扇屋 管理人 鈴木 稔さん)
「なんかさみしい」「歩くのはいいし世界中いろいろ な戦争が仲良くしたいですね」
一行は、旧東海道の面影を残す金谷坂の石畳や岡部宿では大旅籠の柏屋にも立ち寄ります。家康が住んでいた静岡は、特に盛大な歓迎が行われ、深いゆかりがあります。そのため、今でも毎年4月に行われる「静岡まつり」で、朝鮮通信使を再現した行列が披露されています。また、家康が幼少期を過ごした静岡市清水区の「清見寺」には、朝鮮通信使が残した貴重な資料も。
(ボランティアガイド 伏見 鑛作さん)
「朝鮮国から日本を見ると東にあるので、東の日本の景色の一番きれいな所という意味で『東海名区』という言葉を残していってくれた」
当時、鎖国中だったこともあり、日本側にとっても新たな文化を学ぶ貴重な機会でした。第1回で派遣された朝鮮通信使の子孫にあたるチョンさんは…。
(第一回 朝鮮通信使の子孫 チョン・スクさん)
「街が空っぽになるくらい、みんな見に来ていて、勉強を教わったり聞いたりする」「踊りを踊ったり、みんなその人たちが来るときにやっていたと、ずっと長く聞いている」
朝鮮通信使のおかげで、江戸時代には日朝間で戦争が起こらなかったともいわれ、まさに「平和外交」の象徴だったのです。今回で最後となってしまう“21世紀の朝鮮通信使”。メンバー同士や各地での交流を通じて、平和のために信頼関係を築く大切さを感じているようです。
(韓国の参加者)
「すごくいいです。思いやりもあるし、やってくれるのはすごくうれしいです」
(日本の参加者)
「『精神友好』やはり仲良くやらないといけない」
(韓国側の会長 ホ・ナムジョンさん)
「交流というのは続けなきゃいけない」「これからどういうふうに生かしていくか、深く協議していくつもりです」
一行は来週30日・水曜日にゴールの東京へ到着する予定です。