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【被災地へ桜を】東日本大震災発災当時から14年間…宮城・南三陸町に早咲き桜植えてきた男性その思い(静岡)

2025年4月18日 17:39
【被災地へ桜を】東日本大震災発災当時から14年間…宮城・南三陸町に早咲き桜植えてきた男性その思い(静岡)

東日本大震災から14年が過ぎましたが、この間、宮城・南三陸町に河津桜など早咲きの桜を植え続けてきた男性が静岡・三島市にいます。被災地と今も続く交流と、その思いとは。

4月5日、ここは宮城・南三陸町のキャンプ場。

潮風に濃いピンクの桜が揺れていました。河津桜です。訪れた人も心ひかれます。

(宮城県民)
「こんなピンクの桜あまり見ないですね」「全然知らなかったので来られてよかったです」

その桜のもとにある石碑。記されていたのは、「伊豆の桜を被災地へ」。

南三陸町に河津桜が植えられたのは震災の翌年から。その支援をしてきたのが、三島市に住む山岡修一さんたちです。

(三島市在住 山岡 修一さん・84歳)
「うれしいね。これを見ると本当。涙が出るくらいうれしいよ」

山岡さんは、震災後から実に89回も、毎年のように南三陸町を訪れています。

(三島市在住 山岡 修一さん・84歳)
「あの旧庁舎(防災対策庁舎)も、土塁の中にポツンと立つような格好になっている」

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城・南三陸町。620人が亡くなり、今なお211人の行方が分かっていません。

山岡さんは震災の翌年、仲間たちと共に、被災地に桜を植える「三島桜プロジェクト」を立ち上げました。

(山岡 修一さん)
「芽がふくらんでいるじゃない」

活動に賛同した人や企業から寄付金を募り、これまでに桜を植えた場所は災害公営住宅や個人宅など南三陸町内に200か所。その本数は2000本を超えました。

(山岡 修一さん)
「3月11日に1輪でも咲いて、 癒やしと励まし、そして、その木が 大きくなるにしたがって復興も進んでくれる、そういう思いのプロジェクト」

桜の点検の合間には、被災した人達に静岡の特産品をプレゼントしていました。

(山岡 修一さん)
「ミカンでも食べて」

(南三陸町民)
「いつもいただいてごちそうさま」

『心の傷を少しでも癒したい』そんな思いがあったのです。

(三浦 すえ子さん)
「私の息子は防災庁舎で亡くなっているから帰ってこない。5年なんだけども行方不明。1人息子なんだけども」「楽しみに待ってますから」

(山岡 修一さん)
「ありがとう」

(山岡 修一さん)
「こうやって来てニコッと笑うだけでも、あの人たちにとってすごく救われる時間になるみたいね『また来てくれたの』とか、そういうような会話でいいんじゃないかなと思う」

山岡さんは、これまでに訪れた89回の記録を、全てノートにまとめています。その数は、24冊になりました。

(山岡 修一さんの記録)
『桜の名所になってほしい』

年齢は84歳になりましたが、その思いを絶やすことはありません。

(山岡 修一さん・84歳)
「84歳という歳はね、気力体力の衰えは、ひしひしと感じるんですけど」「やはり現場いってみなきゃ分からないことたくさんありますし、そういう中で、支援のニーズというものを感じなきゃいけないと思うので、現場には、いつでも行きたいと思っている。体力の許す限り」

原動力は、被災地から届き続ける感謝の手紙です。

(40代女性からの手紙)
『桜の木を植えていただいたことが、子どものようにわくわくとうれしい気持ちになりました。これからは桜の花が咲く頃、東日本大震災のあった3月11日のことを思い出すでしょう。それは、ただ単に悲しみを思い出すということだけではなく、この桜の成長と共に、未来に向けて歩んでいく祈念樹になるわけです』

2025年も被災地を訪れた山岡さん。

河津桜は、地域の人が集うお寺にも。

この寺は津波で全壊。住職は、訪れる人たちが笑顔になってくれればと、山岡さんにお願いし、桜の苗木を植えてもらいました。

その桜は、倍以上の大きさに成長しました。

(津龍院 舘寺 俊明 住職)
「お寺に来て、ご先祖様を拝むだけじゃなくて、お花も見て、心の癒やしになり喜んでもらっているので、すごくありがたいです」

民家の裏山にも桜が植えられていました。

山岡さんが1年ぶりの再会を喜んだのは、三浦すえ子さんと、ひろみさんです。町の職員だった最愛の息子、そして夫は、旧防災対策庁舎で津波の犠牲となりました。

(夫を亡くした 三浦 ひろみさん)
「元気いただいてますね」
Q.ことしの桜見ていかがですか?
「この辺まだ咲いてないんですけど、いの一番に咲いて」「震災も思い出しますけど、それ以上に、遠くから応援してくださってる人に本当にありがたく元気を毎回いただいてます」

(山岡 修一さん・84歳)
「一人一人いろいろな思いを背負って、こうやって14年たっても頑張っている。そういう人に、少しでも元気を与えられる桜であればいいかなと思って」

南三陸町の200か所に計2000本。

河津桜は、これからもずっと、復興した町に暖かい春の訪れを知らせてくれることでしょう。

最終更新日:2025年4月18日 17:39
静岡第一テレビのニュース