【特集】「がん」を通じて伝えたい「命」 自らの経験を子どもたちの人生に…がん経験した女性ディレクターの思い
特集です。
「2人に1人」がかかると言われる「がん」。
自らもがんを経験しいま、仕事を続けながら命の大切さを伝える活動をしている女性ディレクターがいます。
彼女の思いを取材しました。
Q「病気をされてからのディレクターっていう仕事は変わってきましたか?」
テレビディレクター小口浩美さん
「そこはかなり変わってきていて…。今まではやっぱりがんの人と会ったら「この人どうやって死んでいくんだろう」というところを追いかけようって思ったけどやっぱりちゃんと生きようとしているから生きるほうをちゃんと取材しないといけないなとか考えは変わったと思います」
フリーのテレビディレクター小口浩美さん。
9年前、乳がんと診断されました。手術や抗がん剤、放射線治療を経験。
がんと向き合ってまもなく10年が経ちます。いまのところ再発はありません。
小口さん
「自分がこれまでもがんの患者さんや苦しい、悲しい人を取材していて人のこと根掘り葉掘り聞いていたのに自分は隠すんだ…って思ったこともありました」
テレビの世界に入っておよそ25年。情報番組やドキュメンタリーなどを数多く手掛けてきました。がんで余命宣告を受けた人を取材した経験もあります。
そうしたなか、自らもがんになりました。
Q「隠したいって思わなかったんですか」
小口さん
「人の裏側というか人の奥まで取材したいっていつもお願いしていて(取材される側は)こういう気持ちかな…って思ったから…」
※4日・塩尻片丘小※
児童は
「がんになって一番辛かったことはなんですか」
小口さん
「自分が自分じゃなくなっちゃうことがつらかったかなあって思います。社会の中からいなくなっちゃうみたいな寂しさとか」
この日、塩尻市の小学校で行われていたのは「がん教育」。がんを通じて、病気の知識やいのちの大切さを考える授業です。
小口さんは5年ほど前から県の外部講師として県内の小・中・高校で授業を行っています。自分の経験を子どもたちの人生に生かしてもらえればと、小口さんが特に力を入れている活動です。
児童(小6)
「がんの患者になってしまった方にどうやって接すればいいですか」
小口さん
「私は何か困っているときには一緒に何かするよ助けたいよっていう気持ちを伝えてくれるだけでああ私は一人じゃないなって思ってもらえると思うからその気持ちを伝えるのがいいかなって思います」
児童(小6)
「がんになっても支えてくれる人がいるし自分は一人じゃないっていうことを伝えてもらいました。自分の身近な人にも、そういう人ができたら、支えてあげたいなって思いました」
3年前には、がんで悩む患者や家族などのサポートを行う団体、「がんサポートおむすび」を設立。
月に1度のペースでそれぞれの悩みや経験を共有しています。
参加女性
「今年、がんじゃないですけど、母が亡くなりまして、ちょっと最近周りにそういう不幸が多いんですけど。平均寿命を生きなかったから不幸だったのかとか、若くして亡くなっちゃったから不幸なのかとか考えたりするんですけど。それぞれ一生懸命みんな生きていて、寿命をまっとうしたのであれば見送るしかないのかなっていう気がしています」
団体の名前にも使われている「おむすび」。そこには母親への思いが込められています。
※2022年7月諏訪赤十字病院主催の講演会※
小口さん
「実は私はいい歳をして、母に素直になれないブラック娘でした。とくに治療中は、母の優しさがしんどくて、心配をかけているのが私なのに、気を使われるとつらい。みなさんにもそんな経験はありますか?治療が落ち着いて、初めて一人旅に行く朝のことです。母は昔からわたしがおむすび、おにぎりを2つ頼むと3つ作りました。そのたびに“2つでいいと言っているじゃない”と、いらいらしていました。この日の朝も持たせてくれたのはやはり3つのおにぎりでした。でもなぜかこのときだけ母は言葉にしました。“3つにしているのは実を結んでほしいからなんだよ”私はこれまでの母の思いを知らずに何をしていたんでしょう、いつも見守ってもらっていたことを思い知りました。いくつになっても、娘の病気は変わってあげたい。きっと母はそう思っていたと思います。治療が落ち着き、旅に出かける娘に持たせる3つのおむすびには、どんな思いが込められていたのでしょうか」
※今月4日小口さんの母が入居する施設※
小口さん
「何でも作ったよね。お母さん。おむすび。お母さんは料理うまいもんね。お母さんのあれがおいしいよね。あじごはん」
進学のため18歳で家を出た小口さん。がんになったあと久しぶりに実家に戻り母親と2人暮らしを始めました。
父親は30年前にがんで亡くしています。しばらくして介護が必要になった貞子さん。当初は、自宅での介護に奮闘しましたが仕事や体調の影響もありやむなく、同居を諦めました。
小口さん
「(母は)きょうもかわいい…」
Q「その手袋はどういう?」
小口さん
「これ…?よりによって…これは爪でこっちの手をひっかいちゃいけないから手袋している。もうちょっといい絵のとき…」
「これはいつもお母さんとヒロミと手をつないでるんだよね。ちょっと消えちゃってますけど…」
闘病を支えてくれた母親の存在で、「自分だけの命だけではない」と痛感したという小口さん。
今はできるだけ一緒にいたいと思っています。
小口さん
「母が好きだし、いままで子どもらしいことをちゃんとしてないから…」
※茨城県日立市 茨城キリスト教大学※
県外での活動も増えました。やってきたのは茨城県日立市。長野市の中学1年生清水唯衣さんと一緒です。
清水さんは小学2年生のとき、骨にできるがんのひとつ骨肉腫と診断されました。
この日は、全国から集まった養護教諭を前に「若年層のがん患者の気持ち」をテーマにした講演会。小口さんは進行役、清水さんが経験を伝えました。
2人の出会いは2年前。当時清水さんが通っていた小学校でのがん教育でした。
※2年前・芹田小※
清水唯衣さん(当時小5)
「がんを知ったときは悲しかったけど友達に優しくしてもらって…楽しくて…がんを経験した小口さんとがんのことを話せるのが楽しかったです」
このとき初めてクラスメートに病気のことを話した清水さん。
清水唯衣さん
「私が大切にしている言葉は“笑う門には福来る”ということわざで私が主治医の先生に闘病中にかけてもらった言葉で。自分が思っていたより看護師さんの優しさに気付けたりとか自分の視野が広がるというのもあって、笑っているといいことがあるなっていうのが本当に実感してそのときからずっと私は笑顔でいようって。自分の心の中にずっと刻まれている大事な言葉です」
小口さんとの出会いをきっかけに清水さんは自分の経験を伝えていこうと決めました。
清水さん
「(小口さんは)憧れの人というか尊敬できる人です。がんのことを知ってもらいたいとかそういう気持ちを持っていくうちにむしろ自分の経験がプラスに思えてきている。当事者だからこそ伝えられることを伝えていきたい」
小口さん
「(清水さん)大人になってねー今も忘れないですけどあどけなくて。あの日をきっかけに自分の思いだとかを話していいんだとかそういう風に思えたとしたらがん教育はよい場所じゃないかなって思います」
小口さんは、これからも命の大切さや人への思いやりを主に子どもたちに伝えていきたいと考えています。
小口さん
「自分に子どもがいないから本当は子どもがほしかったかもって気持ち、どこかにあるけれどがん教育をやることによって子どもと接するとか、かっこよくソーシャルマザーって最近私言い始めてるんですけど社会的な形でお母さんというか見守ることができるんだったらっていうことで自分の気持ちを埋めてる部分は側面としてありますね。私個人としてはそこになんか自分の生き方のひとつの救いみたいなものはあると思います。確かに」