「成長ゆがめる宗教があった」“オウムの子ども”見つめた元児相職員の回想~シリーズ「オウム30年」⑤
捜査員に抱きかかえられ、次々と施設の中へと運ばれていくオウムの子どもたち。保坂さんはあの日のことを、今もはっきりと覚えています。
保坂三雄さん(78)
「雨がちょっと降っていた、寒かった。みんな薄着で上はTシャツ1枚、全員はだし。寒かったと思う」
児童相談所前に集まった信者
「おまえらにそんなことする権利があるのか!」
施設の入口付近では盾を持った機動隊員と追いかけてきた信者がにらみ合い、騒然となりました。そんな中、初めて子どもたちを目にした保坂さんが抱いた印象は…
保坂三雄さん(78)
「普段子どもを見ている、そういう子どもたちとは違う」
保坂三雄さん(78)
「子どもたちを保護したときはとにかく表情がない。顔面は真っ白あるいはもう青白かった」
保坂三雄さん(78)
「お医者さんの医学診断でも『顔面蒼白』という診断がついた子も何人もいた。みんなヘッドギアをつけて」
当時、県吉田保健所の職員として繰り返し教団施設を訪れていた竹越秀子さんも、施設で見かけた子どもの姿を忘れられないと話します。
竹越秀子さん(74)
「私がパトロールに行った時に普通子どもだったら何か声かけたらはにかむでしょ」
竹越秀子さん(74)
「私が『きょうは遠足?楽しそうだね』って話しかけたら、子どもが一斉に私を見てすごい目でにらんだの。子どもがあんな目をするってことがぜんぜん信じられなくて」
山梨放送は県への情報開示請求で、保護された子どもに関する2800点を超える資料を入手しました。当時、子どもたちが書いた日記や作文には…
「オウム真理教にかえりたい」
「げんせのバカ」
また、子どもたちの様子を記録した職員の報告書にはこんな記載がありました。
「大半の児童が『オウムへ戻りたい』といっている」
「尊敬する人物、好きな人物として『尊師』を挙げる児童が圧倒的に多い」
保坂三雄さん(78)
「ごみを燃やすと黒煙が出る。そうすると『毒ガスだ』と言って、わーっと子どもたちが部屋の中に逃げ込む。」