「成長ゆがめる宗教があった」“オウムの子ども”見つめた元児相職員の回想~シリーズ「オウム30年」⑤
保坂三雄さん(78)
「外は毒ガス攻撃を受けるだとか、ずっと教え込まれていたから。自分たちが逮捕されたと思っている」
保坂三雄さん(78)
「児童相談所は警察の仲間だ、逃げたい。サティアンに戻りたいという気持ちが最初はみんな持っていた」
保坂三雄さん(78)
「とにかくオウムの人たちがずっと来ていた。夜も来ていた」
教団施設で暮らし、オウム真理教以外の世界を知らない子どもたちにとって“外の人間”はすべて警戒の対象だったに違いありません。
保坂三雄さん(78)
「きちんと誠意を持って温かく迎える、そこから入るしかない。いろいろなことを規制をしない」
保坂三雄さん(78)
「その中で人間関係をつくっていこうと。そのあかつきには多少いろんなことを教えるとか指導するということが出てくる。とりあえず丸ごと受け入れてとにかく子どもたちに温かくお世話をしましょうというのが基本方針だった」
子どもたちの心理状態を把握するため、保坂さんはさまざまな絵を描かせました。
6歳の男の子の絵に描かれたのは、笑顔で手をつなぐ家族とみられる5人の姿。頭上には大きな太陽が輝いています。保坂さんはこの絵から、男の子の心情を推し量りました。
保坂三雄さん(78)
「オウムに入ると親子やきょうだいはバラバラになってしまう」
保坂三雄さん(78)
「とても仲のいい親子だったんですけど、手をつないで離れたくないと」
保坂三雄さん(78)
「真ん中に太陽があった。愛情ですよね。仲のいい親子だったんですけど、結局バラバラにされてしまって。必死に手をつかんで離れたくないという絵」
バブル崩壊後の1990年代、先が見通せずに自らオウム真理教に居場所を求めた人は少なくありません。
しかし、教団施設で暮らしていた子どもたちに選択肢はありませんでした。
保坂三雄さん(78)
「オウムに入信する、出家する理由がそれぞれの家庭にあったんでしょうね」