【終戦特集】朝鮮半島で迎えた終戦「人踏みつけ奪い合う…」逃避行で見た“悲劇” 87歳男性の記憶 山梨

終戦から今年で80年、戦争の記憶を語り継ぐシリーズ「戦争の記憶」。今回は朝鮮半島で終戦を迎えた男性の証言です。
笛吹市の生涯学習拠点「学びの杜みさか」。
描きためた富士山の絵などを披露する個展を開いたのは、市内に住む坂田肇さん(87)です。
仕事で全国の街の景観整備を手掛けるうちに富士の魅力に取りつかれ、山梨に移住しました。
そんな坂田さんが1人の時間、ふと頭をよぎるのが80年前の記憶です。
年を重ね、思い出すことが増えたといいます。
坂田肇さん(87)
「もう、どこもここも死人だらけ。この死んでいる人がいっぱい、うようよ、うようよ。それはもう悲惨なもんだよね」
坂田さんは朝鮮半島の吉州に生まれました。現在の北朝鮮です。
坂田肇さん(87)
「バリケードみたいに(アメリカが)今メキシコにやっているような、朝鮮人が入らない村を作って、その中で優雅な生活をしていた。プールから公会堂から何から映画館まであったりね」
何不自由ない暮らしだったという坂田さん。しかし、戦争末期は日本の統治下にあった朝鮮半島も、米軍の空襲の標的になりました。
坂田肇さん(87)
「この飛行機からね、ダダダダダッて何機も飛んでくるんですよ」
坂田肇さん(87)
「下に機関銃で撃って、この辺でみんな子どもでもなんでもやられて死んでしまう。どんどこ撃ってくるからね。これが一番爆弾より怖かったね」
10分も間を置かず、鳴り響く空襲警報。2人の妹を連れて逃げ惑ったことも覚えています。
その空襲より多くの人が、栄養失調や感染症で命を落とし、坂田さんも埋葬を手伝わされました。
玉音放送を聞いたのは空襲で逃げこんだ山の中。子どもながらにほっとしたといいます。
坂田肇さん(87)
「小さいけど、『これはもう終わったな』って思った」
しかし、それは本当の悲劇の始まりでした。
坂田肇さん(87)
「ソ連軍がタンク(戦車)で来て、夜中でもなんでも(銃を)バンバンって。恐怖っていうのを通り越しちゃった」