苦悩を乗り越え…車いすバスケで日本代表、次は陸上競技に挑戦! 目指すはロスパラリンピック 立岡ほたるさんの新たな挑戦を取材 鳥取県倉吉市

これまで、日本海テレビが取材してきたアスリートについてお伝えします。鳥取県倉吉市出身の車いすバスケットボール選手立岡ほたるさんです。
明るい笑顔が印象的なほたるさんは現在27歳。高校1年生のとき、「多発性硬化症」という、免疫異常によって運動障害や感覚障害を引き起こす難病を発症しました。ほたるさんは今、下半身まひや手足のしびれなどの症状があります。
立岡ほたるさん
「まさかこんな障害者になるなんて思わなかったんで。あ、寝ようって思いました。一生寝てやるって。一生親のすねかじって家でぐーたらしようって」
小学生のころからバドミントンを続けてきたほたるさん。大会でも優勝するなど、活発に過ごしてきました。
しかし、突然襲った病。車いす生活となり、なにもかも嫌になっていたそんなとき、ある出会いが。
スピード感と鮮やかなシュートが魅力の車いすバスケットボールです。
立岡ほたる
「バスケット大好きですね、本当に大好きです」
19歳で始めた車椅子バスケットボール。ほたるさんは、みるみる頭角を現し、2019年、タイで行われた世界選手権25歳以下の日本代表として出場。2022年には日本車いすバスケットボール連盟の強化指定選手に選出されます。念願だった日本代表として多くの大会で活躍してきました。
苦難を乗り越え車いすバスケットボールに打ち込んできたほたるさん。実は、去年から新たな競技にも挑戦しています。
立岡ほたるさん
「雨が降ってきちゃった。雨が降るとね、外じゃできんかもしれん」
こう話しながら入っていったのは鳥取県鳥取市にあるトレーニング施設です。奥のスペースでストレッチをしているほたるさん。そのすぐそばにあったのが…。前後に長く大きさが異なる車輪が特徴的な、パラ陸上競技用の車いすです。ほたるさん、去年10月から、この車いすを使った、陸上競技を始めました。
立岡ほたるさん
「疲労度のスピードが全然違って、陸上のほうがやっぱバンっと心拍数上げる分、早い段階で疲れが来て…バスケをやっているほうがまだ体は楽です」
上半身を使って車輪を回し、全長170センチもの車体を動かしていくこの競技。持久力のほか操作技術なども重要となってきます。
一からスタートさせた陸上競技。そこにはあるきっかけがありました。
立岡ほたるさん
「この1年は本当にきつくってバスケがもう、パラリンピックに出られなかったっていうのが、一番きつかった1年で。どう自分の人生プランを立てたらいいんだろうというのとかをいろいろ考えた1年でした」
それは、去年7月に行われたパリパラリンピック日本代表に選ばれなかったこと。車いすバスケを始めてからずっと目指してきた憧れの舞台。
立岡ほたるさん
「パリが終わってスポーツをやめるっていう選択肢をとったほうがいいんじゃないかなと考えたりとかもしたし、なかなかきつくって」
夢を絶たれた直後はスポーツ自体からも離れようとしていたのです。そんなほたるさんを変えてくれたのが…。
立岡ほたるさん
「同い年の選手が、自分のことを鼓舞してくれるっていうのがすごい大きくて、自分の中で、スポーツやめようって傾いていたのをスポーツやりたいに取り戻してくれたし、本当粉々に心折れていたんですけど、そこに火をつけてくれたし」
友人からの「苦しい時間を過ごしているけど、頑張ろう」という、メッセージに背中を押され車いすバスケもしながら心機一転、個人競技をスタートしたのです。
この日、ほたるさんがいたのは鳥取県米子市にある施設。行われていたのはボート競技のパラローイングの体験会です。
体験会には、ローイングでパリパラリンピックにも出場した鳥取県米子市の森卓也選手の姿もありました。
立岡ほたるさん
「パラ陸上も腕を後ろに引くっていう動作が重要で、ローイングも腕を後ろに引くっていう動作が重要なので、そこは陸上にも通ずるものがあると思うし、どの競技にも重要なポイントだと思うので、ローイングもやってみる価値はすごくあると思います」
以前から交流があったふたり。個人競技を始めたと聞いた森選手が声をかけてくれました。
森卓也選手
「バスケは本当に代表になるようなしっかりした選手になってたんで、そっからまた違う競技となると、最初はまあなんでも難しいと思うけど、たぶんすぐコツはつかむと思うので」
新たな競技にも役立つ!まずは挑戦してみようというのです。
立岡ほたるさん
「いや怖い…泳げないし私全く。落ちたらヤバイ…泳げないから溺れるかもしれん…(笑)」
不安はありますが、いよいよ水上へ。この日は風が強かったため沖には出られませんでしたが、ボートに乗って漕ぐ動作を体験しました。
立岡ほたるさん
「背中を1番使うなって思いました。背中と、あと腕と…怖かった…」
パラ陸上を始めて半年。約2週間後のデビュー戦に向け、屋外での練習に励んでいました。大会ではレーンの枠外に出てしまうと失格となり記録が残りません。そのため、ほたるさんの今の目標はタイムではなく、レーンの枠内に収まって最後まで走り切ることなのです。まずは記録を残すために、ひたすら数をこなします。
立岡ほたるさん
「まずはパラ陸上っていう競技がどういう競技なのか知るっていうのも大事にしたいですし、デビュー戦なので力まずにタイムも気にせず、まずは楽しみたいなと思います」
大会は鳥取から車で約5時間の愛知県で行われます。前日の夜、私たちはほたるさんと一緒に食事をすることに。テーブルにはほたるさんの大好物のお寿司や唐揚げなどが並びます。
数年前までは固形物を食べられず、スムージーしか飲めなかった時期もありましたが、今では普通の食事が日常的にできるようになりました。美味しいものを食べ翌日に向け英気を養ったほたるさん。
立岡ほたるさん
「おはようございます。え、これやばくない?」
大会当日はあいにくの雨。
立岡ほたるさん
「これまで(バスケのときは)体育館だから雨とかあんまり関係なかったけど、外競技で雨を経験するのは今日が初めてだったのでちょっと不安…」
雨の中向かったのは愛知県美浜町にある陸上競技場。ここで行われるのが、パラ陸上の記録会、「愛知パラ陸上競技フェスティバル」です。
障害によってクラス分けされた約130人の選手が短距離、長距離、走り幅跳びなど6つの種目に挑むこの大会。
ほたるさんにとってパラ陸上の第一歩。出場するのは女子車いす100mの1種目のみです。走るのは第4レーン。慎重に走り出し確実に枠内を走っていきます。隣の選手とほぼ並走する形でフィニッシュ。24秒49で、無事記録をマークすることができました。
立岡ほたるさん
「失格にならなくてよかったです」
初めてのレース、その上、大雨という最悪なコンディションの中でも走り切りデビュー戦を終えることができました。
ほたるさん、新たな目標も決まっています。
立岡ほたるさん
「無事、レーンの中走れてゴールできたので安心しました。今後はバスケットボールのほうも陸上のほうもそのほかの個人競技のほうもまだまだ挑戦していかないといけないしいろいろ探っていかないといけないんですけど、ロスパラリンピックに向け自分が何をやりたいのかっていうのを早く明確にして頑張っていきたいなと思います」
車いすバスケについては日本代表ではなくなったものの今後は指導者としての勉強をしていく予定です。また、陸上では、今回、デビュー戦を終え、タイムを残すことができたのでこれからさまざまな大会にも出場できるようになります。見据えているのは3年後のロスパラリンピック。ほたるさんの新たな挑戦は始まったばかりです。