「ミラクル市川」 34年ぶりに“復活” 当時のナインが子ども達を指導 山梨・市川三郷町
財政難で苦しむ市川三郷町を元気づけようと、「ミラクル市川」が復活です。
かって奇跡の逆転劇で甲子園を沸かせた市川高校野球部OBによる野球教室が10日、行われました。
当時のアナウンサー
「たった今、試合が始まったところですが、皆さんテレビの応援に夢中なのでしょうか?この通りは人影もなくひっそりとしています」
「ミラクル市川」は市川高校野球部が1991年のセンバツ大会で、大会史上初の2試合連続逆転サヨナラ勝ちを果たしたことから呼ばれたもので、町民だけでなく多くの県民を勇気づけました。
野球教室は財政難に苦しむ町を元気付けようと、町出身の今村裕日体大常務理事らが呼びかけたもので、当時の野球部員が市川高校の跡地に建った青洲高校に再び集まりました。
開会式では、当時の市川ナインが泊まり込みで練習をしていた宝寿院の広瀬義仙住職があいさつしました。
そして、センバツでエースを託された樋渡卓哉さんがピッチングコーチを務めるなど、ミラクル市川を築いた関係者が地元の子どもたちを指導しました。
参加した子どもたちはポジション別に分かれて、ピッチングのコツや守備の基本などを教わった後、バッティングの練習も行いました。
どんな逆境でも絶対にあきらめない姿勢が共感を呼んだミラクル市川。往年の選手たちは子どもたちに強いメッセージを送っていました。