【戦後80年】男鹿市の山に墜落したB29 唯一の生存者と助けた住民とのやりとり "記憶の風化"を考える
墜落から生き残ったマーチンさんの、その後の映像が残されています。
35年前の1990年。
アメリカに戻ってからの消息が分かったマーチンさんを「男鹿ロータリークラブ」が招きました。
結婚し、64歳で妻とともに加茂青砂を訪れたマーチンさん。
マーチンさん
「何人の人が私を助けてくれたんでしょうか」
胸に宿していた感謝の思いを、直接、住民たちに伝えました。
マーチンさん
「とてもとてもうれしいです。夢がかなった。本当に夢のようです」
マーチンさんは、航空自衛隊のヘリコプターで、墜落の現場付近も見て回りました。
マーチンさん
「うれしいと同時に感謝している。1945年と同じ場所に同じルートで連れて来てくれたことに」
亡くなった11人の供養をしたマーチンさん。
この時、現場近くに慰霊の標柱が建てられました。
その後、長く保存するために、石柱に建て替えられています。
マーチンさん
「もう二度と戦争が起こらないことを祈っている。孫や子どもたち、将来の世界中の子どもたちのために。日本もアメリカも戦争をせず、世界の平和が続くように、一緒に歩み続けなければならない」
関係者によりますと、マーチンさんは、2012年に86歳で亡くなりました。
B29にまつわる出来事。
加茂青砂でも語り合う機会が少なくなっています。
菅原繁喜 相談役
「高齢者ばっかりなものだから、人が集まらない。集まらないことには話のしようがないのよ」
大友捷昭さん(80)
「映像でもとっておかないと、伝える人がいなくなってるものほら。それで困る」
80年前の墜落と、35年前の交流から得られた教訓。
後世に伝える慰霊碑が、旧加茂青砂小学校の近くにもあります。
しかし。
太田 記者
「こちらB29という文字は読めるんですが、そこから下は何が刻まれていたか分からない状態になっています」
長い年月を経て「和平」の2文字も薄れていました。
80年前の記録をいまに伝える戦争遺構も、記憶の風化に警鐘を鳴らしています。