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【戦後80年特集】旧陸軍の能代飛行場 当時の貴重なフィルム映像を入手 読み取れることとは ※映像使用期限終了のためテキストで公開

2025年1月18日 0:00

■一般人の犠牲も…供養を続ける住職の思い

能代飛行場があった場所にほど近い、延命寺の住職・菊地憲道さんです。

大きな事故があったといわれる毎年6月に、犠牲になった人たちを供養してきました。

住職
「東雲(能代)飛行場というのは、訓練する場所だというもんですから」
「(一般人が)巻き込まれて亡くなって、お葬式も出せなかったという、そういう難儀なこともあるし」

30年前には、有志による慰霊塔が境内に建てられましたが、時代の流れとともに、訪れる遺族や関係者は少なくなっているといいます。

住職
「もう立ち上げられた方々たちは一切手前どものところにおいでにならないというか」
「ほとんどおいでになられる方がおられないということですから、毎年の供養は私と妻でお勤めさせていただいている」


菊地さんは、寺を訪れた人から聞いた能代飛行場のエピソードを、地元の中学校の平和学習などで伝えています。

住職
「私ここで飛行機の整備をしていたんだけども、整備というのはすごく大変だったと」
「ここの土壌というのは酸性土壌ですから、金属に対して悪しき影響を与えますので、それで整備するのが非常にご苦労されたと」
「手前がそういうお話を頂戴して、そういうお話を後世に伝えていかなければ、東雲(能代)飛行場の根幹のところは分かりえないところがあるから」

■飛行場のあった場所はいま

能代飛行場の基幹設備があった場所は、いま、能代支援学校や旧能代西高校の敷地になっています。

唯一残る、弾薬庫として使われていた建物は、能代支援学校の資材置き場としていまも使われています。

学校の敷地には、小さな石柱が残されていました。

刻まれているのは「陸軍」という小さな文字だけ。

能代科学技術高校 中嶋信義さん
「(石柱が)2点あるというのは聞いたことがあるんですけども、ここしか僕は分からないです」
「能代科学技術高校の3年生には、年度初めに農場を回って、こういうのがあるよというのは教えているというか、陸軍の跡地にあるというのは話を伝えています」

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