【戦後80年】「禎子ので間違いない」原爆の子の像のモデルになった少女が折った鶴 兄が見つける
福岡県那珂川市に住む佐々木雅弘さん(83)です。去年12月、自宅の仏壇を整理していたところ、父親の遺品の中から1羽の折り鶴を見つけました。鶴はノートの切れ端で折ったとみられ、ベージュに色あせていました。
■佐々木雅弘さん
「あとでしっかり眺めて考査したら、これは禎子ので間違いないって思ったのね。」
鶴を折ったのは、雅弘さんの2つ下の妹、禎子(さだこ)さんです。禎子さんは2歳のときに、雅弘さんとともに広島で被爆しました。白血病を患い、回復を祈って病床で鶴を折り続けましたが、12歳で亡くなりました。
広島市の平和記念公園に立つ「原爆の子の像」は、禎子さんがモデルとなっています。
折り鶴を見つけた雅弘さんは、鶴に残されたある特徴を見つけて、驚いたといいます。
■雅弘さん
「上下両方に穴が開いているというのは、これは折り鶴を折ったあとに自分の病室につるしていた折り鶴だと、そこでわかった。」
千羽鶴にするために糸を通した穴があったのです。病室につるしていた折り鶴は、禎子さんが亡くなった際にほとんど棺に入れたため、雅弘さんは自宅には残っていないと思っていました。
■雅弘さん
「もうこれは奇跡ですよ。これはまさしく禎子が持ってきた、置いてくれた、見つけさせた折り鶴だなと。」
戦後80年の節目に見つかった禎子さんの折り鶴。雅弘さんは、この折り鶴が平和の大切さを考えるきっかけになることを願っています。