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「笑顔になれるのかなと何度も思った」息子を奪った飲酒運転事故から14年 母が出した"答え"

2025年2月7日 19:34

これまでできなかった、自分がやりたかったことにも少しずつ時間を割くようにしました。

■美也子さん
「おはよう。きょうもよろしくお願いします。」

活動の拠点である福岡市東区の「はぁとスペース」。障害などが理由で企業で働くことが難しい人に働く機会を提供する「就労継続支援B型事業所」を立ち上げました。

寛大さんが事故に遭う1年前から、美也子さんは夫の浩之さんと車いす優先駐車場のマナーアップを呼びかける活動をしていました。

■美也子さん
「障害者と健常者が楽しく生活できるスペース作りを目指して『はぁとスペース』を頑張っていけたらなと思ってます。」

いつか福祉の事業所をつくりたい。それが自分のやりたいことであり、目標でした。

■美也子さん
「前しか向いてこなかったので、振り返ることとかしてこなかったんですけど、やっと、すごくちょっとだけ。」

コーヒーのドリップバッグを作ったり、拭き掃除で使う布をたたんだり。きちっとしすぎず、利用者が気楽にできたらと「ふんわり工房」と名付けました。

■利用者
「楽しいです。嫌なことがあってもここに来ると忘れられるので。」

お昼になると手作りの昼食もふるまいます。

■美也子さん
「ここに来たらおいしいご飯が食べられる。お腹いっぱいになって元気が出る。みんなと同じものを食べて笑顔になるのが一番かなと思います。」

事故から10年となったころに計画し始めたこの活動は今、ようやく軌道に乗り始めました。

■美也子さん
「人はみんな幸せになれるんですよとよく言うのですが、幸せになることを忘れている人が世の中いっぱいいるんです。私自身も被害者遺族としてそうでした。笑顔になれるのかなとか、これから先、生きていていいのかなとか、何度もそう思いました。私のような被害者遺族でも、加害者の経験をした人でも、障害があっても。どんな人でも幸せになれる権利がある。それを伝えていきたいなって。」

美也子さんが出したその答えは「はぁとスペース」の新しいコンセプトになりました。