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【戦後80年】「地獄みたいだ」31人の子どもの命を奪った爆撃 生き残った2人が語る「頓田の森の悲劇」

2025年4月20日 8:17
【戦後80年】「地獄みたいだ」31人の子どもの命を奪った爆撃 生き残った2人が語る「頓田の森の悲劇」
戦後80年となることし、「いま伝えたい、私の戦争」と題して、いまを戦前にさせないためのメッセージをお届けしています。今回は「頓田(とんた)の森の悲劇」についてお伝えします。終戦の5か月ほど前、現在の福岡県朝倉市で、森に避難した31人の子どもがアメリカ軍の爆弾で命を落としました。痛ましすぎる出来事ゆえにあまり語られてこなかった悲劇を、あの日に森にいた生存者2人の証言からひもときます。

■広瀬益子さん(88)
「病院で亡くなった人は7人おります。森で亡くなったのは24人です。」

朝倉市にある「頓田(とんた)の森 平和花園」。1945年3月27日、ここに落とされた爆弾によって、31人の幼い命が奪われました。

■広瀬さん
「空襲警報のサイレンが鳴ったんです。校長先生が、みんな校庭に集まって集団下校だと言われて。」

犠牲になった子どもたちと同じ国民学校に通い、あの日、行動を共にしていた広瀬益子さん(88)です。当時は8歳で、今で言えば小学2年生です。

自宅から近いところには、東洋一ともうたわれた陸軍の大刀洗(たちあらい)飛行場がありました。

その大刀洗飛行場を目がけ、アメリカ軍の爆撃機、B29がおよそ1000発の爆弾を投下したとされています。

■広瀬さん
「飛行機がちょうど頭の上に来た時、胴体から爆弾がぽろぽろ落ちてきた。私たちが立っているところまで、大きな音と地響きがしました。」

当時のことを記した絵本には、鳴りやまない爆発音や立ち上る黒煙におびえる子どもたちが描かれています。集団下校を引率していた先生は、そのまま進むのは危険だと判断し、来た道を引き返すことにしました。

■広瀬さん
「向こうに森が見えたんです。あそこに逃げようということになった。」

やっとの思いで逃げ込んだのが、学校から近い「頓田の森」でした。しかし、子どもたちが身を潜めたその森に、無情にも1発の爆弾が落とされたのです。