【戦後80年】「褒めてください」92歳の男性が父の眠る海へ 軍歴たどりようやく知った「本当の最期」
福岡県宮若市の野見山正さん(92)は11歳の時、出征する父・大作さんを見送りました。その後、二度と会うことはかないませんでした。
■野見山正さん(92)
「あの写真、あれは徴兵検査、二十歳じゃないですかね。ものすごく子煩悩(こぼんのう)で、みんなから“大ちゃん”と言われていて。」
正さんの父・大作さんは終戦1年前の1944年8月、36歳で陸軍に入隊し、現在の中国東北部、旧満州へ向かいました。
大作さんの戦死を知らせる公報が届いたのは、終戦の2年後でした。当時はまだ子どもだった正さんには、何が書かれていたのかほとんど記憶はありません。
父の足跡をたどることはできないのか。正さんは40年以上前、沖縄県糸満市を訪れた際、戦没者の慰霊碑に父と同姓同名の名前が刻まれているのを見つけます。その後は何度も沖縄へ足を運び、慰霊を続けてきました。
その思いに触れてきた正さんの長女、ひろみさん(69)。終戦から80年となることし、行政に問い合わせると、当時の軍歴が分かることを知りました。
福岡県から取り寄せたのは、大作さんの所属部隊などが分かる「軍歴証明書」と、死亡した日付や場所が示された「死没者原簿」です。
■正さんの長女・迫田ひろみさん(69)
「死亡場所が鹿児島県沖。」
大作さんが命を落としたのは、沖縄ではなく鹿児島の沖合でした。
■正さん
「俺は海軍には行きたくない、海が嫌いやからと言っていた。やっぱり最期は海やったですね。陸で死にたいとは言っていたのですが。」
■ひろみさん
「ここまでたどり着いたけん、よかったかなと思う。」