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特集「キャッチ」 九州北部豪雨からまもなく11年 被災した『つづら棚田』はいま

2023年6月28日 17:54
特集「キャッチ」 九州北部豪雨からまもなく11年 被災した『つづら棚田』はいま
被災したつづら棚田はいま
特集キャッチ」です。2012年の九州北部豪雨で被災した福岡県うきは市の『つづら棚田』では、一部が崩れコメ作りができなくなりました。あれから11年、被災したコメ農家のいまを取材しました。

福岡県うきは市の山間に広がる『つづら棚田』では、江戸時代からいまに伝わる約300枚の棚田のすべてが、つづら地区を開墾したときに積み上げられた“石垣”に守られてきました。

何世代にも渡り、受け継がれてきた棚田です。しかし、集落の過疎化と高齢化で棚田と共に暮らす人たちは減り続けています。

■コメ農家・坂本昭市さん(73)
「この先自分の体が続く限り、この棚田を守っていこうというと。やっぱり“きずな”ですね。みんなの力です、和です。」

2012年7月、この小さな集落を、それまで経験したことのなかった豪雨が襲いました。『九州北部豪雨』です。

大量の土砂は5世帯が暮らす集落をのみ込み、石垣の一部が崩れました。流れてきた大量の土砂は、民家にも押し寄せました。

取材したのは、先祖代々つづら地区に暮らし、コメ作りをしてきた坂本昭市さん(当時62)です。

■坂本昭市さん(当時62)
「もうこういう家は見れない。みんな来て喜んでいた。」

住み慣れた自宅は、変わり果てた姿になっていました。坂本さんが失ったのは、自宅だけではありません。6枚の田んぼも被災し、少しずつ買いそろえてきた500万円分の農機具もすべて失いました。

■坂本さん
「この棚田は400年の歴史があるから、前から受け継いだ田んぼをずっと維持してきたが、私の代で終わられるのは、歯がゆいが、もうこれ以上やっていくのは難しい。」

生活の支えを失った坂本さんは、生きる気力さえなくしたと言います。

■坂本さん
「こんな苦労するならもう、あの7月14日の大災害の日に家と一緒に死んでいたほうがよかったとも考えました。」

“毎年、大雨に脅えながらコメ作りを続けていけるのか”という思いに駆られながらも、坂本さんは、これまで大工の仕事をしながら妻の久子さんと2人で30年以上、棚田を守ってきました。その“誇り”が揺らいでいました。

■坂本さん
「(その当時)妻と話し合って、“もう(コメ作り)やめようか”と。その気持ちを立て直したのが、後ろからの後押し、ボランティアとかみなさん。」

もともと、うきは市では、都会の人に農業体験をしてもらう棚田オーナー制度や、周辺の農家に呼びかけ休耕田で再びコメを作る活動など、『つづら棚田』を守るための取り組みが続けられていました。さまざまな取り組みを通じて『つづら棚田』とのつながりを深めた人たちが、坂本さんの背中を押してくれました。

■坂本さん
「(いまは)自分の感情をぶつけて何かしていないと。そうしないと、被災して家もすべて流れて、そのまま自分の気持ちも体まで流されてしまったら、終わりだろうと思って。」

『つづら棚田』は、四季折々の美しい風景で訪れる人を楽しませてきました。冬になると、すっぽりと雪に覆われ、山里は深い眠りに就きます。春には山々に降り注ぐ柔らかな日差しが、美しい棚田を目覚めさせます。

■農家
「(Q.これ湧き水なんですか?)湧き水です。水道あるけど、湧き水です。」

棚田の傾斜を利用して田んぼの隅々に届けられる湧き水は、太陽の恵みを吸収し、稲に命を吹き込みます。

そして、夏は初夏の日差しを浴びて、青々と育った稲が田んぼを覆い尽くしました。稲穂が黄金色に染まる秋は、畑のあぜ道を30万本の彼岸花が彩ります。

住む人にとって当たり前だった風景は、いつしか多くの人を惹きつけていました。

被災から半年後の2013年1月、『つづら棚田』に正月休みを返上して働く坂本さんの姿がありました。自宅があった場所に、農機具を置くための小屋を建てていました。多くの人から受けた棚田への思いは、再び、コメ作りへと坂本さんを突き動かました。

■坂本さん
「やっぱり“きずな”ですね。みんなの力です、和です。周りの力を盛り上げて、この棚田を守ろうという力があったから、今までのつづら棚田があると思っています。」

あれから、まもなく11年です。多くの人々の思いと共に、坂本さんが守り続ける『つづら棚田』には、ことしも豊かな湧き水が注がれました。