福島思い続けた西田敏行さん、怒りにじませ叫んだ「負けない!」 通い続けた居酒屋、店主の思い出
2024年10月に亡くなった西田敏行さん。俳優として、歌手として、司会者として表情豊かだった西田さんには別の顔がある。故郷は約14年前に未曾有の大震災と原発事故に見舞われた福島県。西田さんは打ちひしがれた福島県民を励まし、風評被害に悩む農家や飲食店などを勇気づけた。西田さんと親交があった居酒屋の女将は西田さんが語り掛ける「大丈夫だ」という言葉が忘れられないという。一方で西田さんが怒りを露わにして訴えた言葉がある。「ふくしまは負けませんから!」。この言葉が多くの福島県民を奮い立たせた。
西田さんの訃報から2か月 店で奇跡的に見つかった「宝物」
夜になるとオレンジ色の明かりが店からこぼれる福島県郡山市にある「居酒屋竹」。こぢんまりとした店内で、30年ぶりに見つかったものがあった。店主の広瀬武子さん(77)が手にしていたのは焼酎のボトル。ボトルのラベルには、ちょっと眠たそうな顔をした男性の似顔絵が描いてある。30年前に西田敏行さんが直筆したサインと似顔絵入りのキープボトルだった。西田さんが亡くなって約2か月後の去年12月、広瀬さんの店の棚の奥から奇跡的に見つかった。店にたくさんあった西田さんのサインボトルは震災で割れてしまっていたが、この1本だけが無傷のまま見つかったという。
「私のお宝、見つかりました!」
まるで天国の西田さんのいたずらであるかのように、突然帰ってきたボトルを広瀬さんはぎゅっと抱きしめた。そして、西田さんがよく座っていた席を見つめながら懐かしんだ。
「友達を連れてきたり、1人できたり。亡くなるちょっと前も来てくれた」。
店のカウンターには広瀬さんが手作りした煮物にポテトサラダが「好きに食べて」と言わんばかりに山盛りで置いてある。ストーブの上で沸かしているやかんの音がなんだか実家に来ているように思わせてくれる。ここは西田さんの行きつけの店。店の壁には西田さんが来たときの写真やサインが所狭しと飾ってある。
「もしかしたらまたひょっこり入ってきてくれるかなとそういう風に思うことがある」。