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被爆80年 美空ひばりが歌に込めた思い 広島平和音楽祭で生まれた平和の歌 被爆者が作詞した歌も・・・【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

2025年5月11日 8:00
被爆80年 美空ひばりが歌に込めた思い 広島平和音楽祭で生まれた平和の歌 被爆者が作詞した歌も・・・【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

美空ひばりさんが反戦を歌った『一本の鉛筆』は51年前、広島テレビが企画した「広島平和音楽祭」で発表されました。この音楽祭からは、平和への祈りを込めた歌がいくつも誕生しました。その歌と思いをひも解きます。

歌謡界の女王が歌う平和の歌

美空ひばりさんの『一本の鉛筆』は、1974年8月、「第1回広島平和音楽祭」で披露されました。ひばりさん自身が「人生のベスト10」にあげるほど、思いを込めて歌った反戦歌です。

■広島平和音楽祭実行委員長 古賀政男さん
「世界平和を目指して、広島から音楽祭を打ち出す。」

広島平和音楽祭は、出演者に「平和を歌った新曲」の発表を課すという、これまでにない試みでした。尻込みする歌手が多いなか、「歌謡界の女王」が出演を引き受け、大きな話題となりました。

出演を決めた背景にあったのは、8歳のときに経験した横浜大空襲の記憶でした。

■美空ひばりさん
「戦時中、幼かった私にも、あの戦争の恐ろしさは、忘れることができません。」

■元広島テレビ事業部 沼田博昭さん
「一番胸にこたえたんだと思いますね。広島の人もこんなに苦しんでいる。私も横浜でこんな苦しみをしている。戦争がどういうものか、身を持ってわかっていた。」

音楽祭の営業を担当していた、吉村淳さんを訪ねました。

■元広島テレビ営業部 吉村淳さん
「音楽祭のパンフレットと、企画書が出てきたので。」

「一本の鉛筆」の歌詞が、本番直前に複数回変更されていたことが、半世紀たって明らかになりました。たとえば、スタッフ用台本にある「8月6日の恐ろしい朝」が、パンフレットでは「8月6日の朝」となっています。

■元広島テレビ営業部 吉村淳さん
「優しく共感が得られるような表現に変えていたんだな、という気がしますよね。」

そして、ひばりさんの希望で急遽用意されたのが、歌詞カードでした。

■元広島テレビ営業部 吉村淳さん
「(スタッフが)体育館の食堂に走っていって、メニューのカバーを借りてきた。それに差し込んで渡したという話がある。ひばりさんほどの人がそこまで慎重になったのは、やっぱり歌詞を大事にしなきゃいけない。そこを強く感じたのではないかなという気がしますね。」