被爆80年 美空ひばりが歌に込めた思い 広島平和音楽祭で生まれた平和の歌 被爆者が作詞した歌も・・・【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】
復興していく広島への思いを歌にしたのが、『広島・市電・街景色』でした。三宅さんは、「広島の復興を書き残すことが、生き残った自分の使命だ」と、歌詞をつくっていたと言います。
歌はレコードにはなりませんでしたが、今も地域の合唱団で歌い継がれています。市電に乗った誰もが共感できる歌として、愛されています。
■歌っている人は…
「聞かれた人も、涙が出るっていうくらい情景が浮かぶ。」
「素直に歌えて、素直に聞けて、じーんとくる歌です。いい歌です、すごく。」
4月17日、三宅さんはおよそ40年ぶりに、かつての職場を訪ねました。「651号」は、爆心地からおよそ700メートルで爆風を受けた被爆電車です。
■三宅辰美さん
「651、乗っていましたね。」
■三宅辰美さん
「ブレーキ解除。これがブレーキ。若い時になったようだ。」
運転台に立つと、当時の思いがよみがえります。
■三宅辰美さん
「死んでいった人の、とむらいがしたかった。それで歌を書くようになった。戦争はいけない。平和っていいな。みんな平和になろうよ。」