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【ドキュメント・ダイジェスト】命あるかぎり-被爆者・森 重昭-

2025年4月15日 9:49
【ドキュメント・ダイジェスト】命あるかぎり-被爆者・森 重昭-

原爆は12人のアメリカ兵の命も奪っていた。その真実を突き止めたのは、被爆者でした。

■被爆者 森重昭さん
「自分の全人生をかけて、遺族にだけは知らせたい」

森重昭さん、執念の記録です。

8歳の時、爆心地から2.5kmの自宅近くで被爆。爆風で川に吹き飛ばされた森さんは、アメリカへの憎しみを募らせます。

■被爆者 森重昭さん
「アメリカのほうはバンザイかもしれんが、日本人のほうは全部命をなくしたんだぞ」

考えが変わったのは30代の時に目にした1枚の絵。8月6日、広島にアメリカ兵捕虜がいたことを知りました。

1945年7月、アメリカは軍港だった呉を攻撃しました。日本軍の応戦により、5機が墜落。脱出した搭乗員は、捕虜となって広島市内に連行されました。

8月6日、アメリカ兵たちは、祖国が開発した原爆の犠牲に。しかし、その事実が遺族に伝えられることはありませんでした。

■被爆者 森重昭さん
「(アメリカ)国家としては、こういうことは誰にも言いたくないには違いないけども、せめて遺族ぐらいには知らせてあげてほしかったなあ。あの人たちは何のために死んだのか」

調査を始めた森さん。仕事の合間を縫って資料を集め、遺族と電話や手紙のやり取りを続けました。

■妻・佳代子さん
「国際電話の料金請求書を見せられて7万いくらの高額な請求書。思わず『え、やめて!』って言ったんですよ」

そして2008年、被爆死した12人を特定。名前を原爆死没者名簿に登録しました。

2016年、広島を訪れたオバマ大統領。

■アメリカ オバマ大統領(当時)
「広島で命を落としたアメリカ人の遺族を捜し出した男性がいます。遺族が失ったものは、自分たちが失ったものと同じだと信じたからです」

地道な調査が、日の目を見た瞬間でした。

■被爆者 森重昭さん
「私が40年以上の日月を費やして被爆調査をやったのは敵国の人を調べたのではありません。人間を調べたんです」

被爆したアメリカ兵の妹、コニー・プロヴェンチャーさん。

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