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「どうして私を産んだのか」水俣病の象徴と呼ばれた女性の苦悩 逃げなかった思い

2025年5月16日 20:13
「どうして私を産んだのか」水俣病の象徴と呼ばれた女性の苦悩 逃げなかった思い
「水俣病の象徴」の半生

「news every.くまもと」では、県民の半生を辿る「私のメッセージ」というコーナーを始めました。
「この世から『心のこり』をなくしたい」。1人ひとりが思いをのこす。タレントの田村淳さんの願いに共感して始めました。

■田村淳さん
「自分は生きていく上で、どんな心のこりがあるか。心のこりを解消するには今何をすればいいかというのをぜひこの機会に考えていただけたらいいなと思います」

あなたにとって大切なひとは。大切なことは。今回、緒方太郎キャスターは、「水俣病の象徴」へ会いにいきました。坂本しのぶさん(68)は、母親の胎内で水銀中毒となった、「胎児性水俣病」です。

■坂本しのぶさん
Q.しのぶさんの夢って何だったんですか?
「保育園の先生になりたかった。子どもが大好きだった」

中学校に通うしのぶさんの映像が残っています。同級生とふれあう機会が限られる不条理な時代。当時カメラで撮影されると涙があふれていました。

■坂本しのぶさん
「一般の人たちと友達になりたいなとは思った。あたしの歩く真似をする人がおった。とても悔しかった。(母が)どうして私のことを産んだのかなとか思った時もある」

1972年、母・フジエさんは中学生のしのぶさんをスウェーデンで開かれた国連の会議に連れていきます。「水俣病の象徴」として娘の存在を知ってほしい。母は当時を思い返しながら語ってくれました。

■母・フジエさん(2017年)
「大人の人は奇病といわれた時代、なるだけ隠した。みんな隠した」
Qフジエさんが隠そうと思わなかった理由は?
「隠そうては思わんかった。水銀で何万人って患者が出とっとだから、みんなが知っとらんばいかんじゃろ」

しのぶさんは、原因企業・チッソ本社との自主交渉にも参加しました。でも、多感な思春期。はじめは人前に出たくありませんでした。

■緒方太郎キャスター
「最初は行きたくなかった所から、自分で行かなきゃと切り替わったきっかけは?」

■坂本しのぶさん
「お母さんが泣いとったの。家の前で。水俣病のことば誰かに言われたのかなとか。一番は(自分が)逃げていたらダメなんだなと思った」

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