【いまを、戦前にさせない】鹿児島市8回の空襲で93%焼失 水筒や寄せ書き…貴重な資料「戦災と復興資料・写真展」始まる
80年前の1945年。鹿児島市は8回に渡る空襲を受け、市街地の約93%を焼失しました。戦争の悲惨さや平和の尊さを伝えようと当時の写真などを展示する「戦災と復興資料・写真展」が始まりました。
こちらは今から80年前の1945年に鹿児島市の城山から撮影された写真です。中央には鹿児島市役所が。その周りは焼け野原になっています。
鹿児島市の「サンエールかごしま」で11日から「鹿児島市の戦災と復興資料・写真展」が始まりました。
鹿児島市は1945年の3月18日から8月6日にかけて8回の空襲を受け、市街地の約93%を焼失。死者は3000人に上りました。
(永田莉紗アナウンサー)
「こちらには戦場で使われていた水筒や、家族や友人が無事を祈って寄せ書きをした国旗など、関係者から寄贈された資料も並んでいます」
この展示は平和の尊さや戦争の悲惨さを伝えようと鹿児島市が毎年開いているもので、空襲の被害を受けた市街地やその後の復興の様子が撮影された写真など約30点の貴重な資料を見ることができます。
(鹿児島市総務課・花木龍雲主事)
「今私たちが生活しているこの場所がこういった焼け野原になっているというのは中々今では考えられないようなことだと思うので、若い方にもぜひ見ていただいて、次世代へ継承していくというところで、色んな方々に話し伝えていただければ」
「鹿児島市の戦災と復興資料・写真展」はサンエールかごしまで今月29日まで開かれていて、その後は天文館図書館などでも開催予定だということです。